・・・・・クラリネット奏者・春日茂君に献呈・・・・・
この作品を気に入った、審査員の一人、オランダ・アムステルダム在住だった、ヴィオラ奏者・今井信子氏のヴィオラによって、アムステルダムでも演奏されました。 この作品の中間部の第3主題は、はるか以前に書いた「ドビュッシーに捧げる6つの小品OP.39」の第5番『宇高連絡船』を使ったものです。この『宇高連絡船』の冒頭と最後の「ミフラット」と「レフラット」の低域の音は『宇高連絡船』の阿波丸と土佐丸の汽笛の音を使ったものでしたが、汽笛の音はピアノよりもクラリネットがよいということ、そして、「レフラット」の音はB管クラリネットでは出せず、A管クラリネットでしか出せない音であることと、春日君のクラリネットの音としてはA管の方をぼくが好きだったという、論理的背景の全くない直感的理由で、A管クラリネットとのデュオ作品になりました。 ぼくが26歳当時のことです。筑波大学医学部在学中で、筑波大学オーケストラでクラリネットのトップを吹いていた春日君とはAPA(エイパ・日本アマチュア演奏家協会)志賀高原音楽祭で出会いました。APA幹事をしていたぼくは、音楽祭前夜から志賀高原のホテルに宿泊していましたが、彼も遠隔地なので、前夜から来ていて、隣の部屋でブラームスの「クラリネット五重奏」をやっているのが聴こえてきました。つやのある低音の響きに惹かれてぼくが聴きに行ったのが、彼との出会いでした。弱音の粘り強さは、彼が筑波大学サッカー部に所属していて、大変な肺活量があることに支えられていました。 その音楽祭では、彼と合わせるスケジュールは入っていなかったのですが、パーティーの席上でぼくが女の子たちのリクエストに応えて、ショパンのマズルカやノクターン、そしてドビュッシーのプレリュードを次々と弾いているのを彼は聴いていて、(彼が、APAに入会した目的はドビュッシーの「クラリネットとピアノのためのプレミエ・ラプソディー」を合わせてくれるピアニストを捜すことだったのでした。)ドビュッシーの合奏はぼくに頼むしかない、と思ってくれたそうです。そして、筑波学園都市に住んでいた彼から、音楽祭の後、どうしてもこの作品を一緒にやりたいんだ、という内容の手紙と、ドビュッシーの「クラリネットとピアノのためのプレミエ・ラプソディー」のスコアのコピーとダビングテープを何本も送ってもらったのが、始まりでした。ぼくは東京都小金井市に住んでいましたので、東京を横断して筑波学園都市まで合わせに行かなくてはならなかったことと、当時、「ピアノと遊ぶ会」が急成長している頃で忙しかったので、約1年間は動けなかったのですが、彼からもらった手紙は大切に取っていて、テープも何回も聴き、スコアの解析もしていました。そして、約1年後に、ぼくの方が時間が取れる見通しが立ったので、「長い間待たせてごめんね。」と彼に連絡をして、筑波学園都市まで出かけていったのが、彼とのデュオのスタートでした。そして、下の献呈文言にも書いているように、彼の持っているルバート感覚や拍の食い方の感覚がぼくのものとピッタリ一致していた、という音楽的理由以上に、彼のことが人間的に非常に好きになったので、ずっと合わせることになりました。 初めて、筑波学園都市に行ったぼくを、彼は常磐線の沿線の駅まで車で迎えに来てくれていたのですが、その車で筑波学園都市に向かう中で、いろんなことを話しました。その中で、一番ぼくが、素敵な男だな、と思ったのは、彼が最初に言った言葉でした。 「岡田さん、恥ずかしいことだけど最初に全部白状します。実は、ぼくは、ピアニストコンプレックスの固まりでした。本当は、ショパンとかドビュッシーやりたかったんだけど、親が音楽に理解がなくて、ピアノやらせてもらえなかったんです。だけど、楽器やりたかったから、中学の時にブラスバンドに入ってクラリネット始めたんです。だから、大学にもピアノやってる友達一杯いるんだけど、みんな何だかエラそうで鼻について一緒に合わせる気がしなかったんです。でも、去年のAPA音楽祭で岡田さんがショパンやドビュッシー、本当に天真爛漫に楽しそうに弾いているの見て、そういう下らないコンプレックスが吹き飛んじゃったんです。岡田さんとなら、ぼくの一番やりたい曲やりたいなって思いました。でも、雲の上の人だと思ってたので、手紙出したけど、ぼくなんかとは一緒にやってくれないんだって思ってたから、今日来てくれて、夢みたいですごく嬉しいです。」 それぞれの人にはそれぞれいろいろな事情があるんだろうと思いましたが、一番初めにこういう風に全部打ち明けてくれる人はそんなにいないものです。 大体、ぼくがこれまで出会った、晩学の方が多い管楽器奏者には全般に、実は、ピアノをやりたかったとか、ヴァイオリンをやりたかったけれども、ヴァイオリンとピアノという楽器は、特性として幼少期からやらないと出来ないことが多いので、それぞれの家庭の事情で出来ずに、ブラスバンドに入って楽器を始めた人が多かったのです。 第一、モーツァルトのシンフォニー41番『ジュピター』は、トランペットがないとお話にならないですし、モーツァルトの「ピアノ協奏曲22番」の3楽章の中間部の管楽アンサンブルのメヌエットの素晴らしさを認識していない阿呆な発言としか思えないことです。 だから、ぼくも、春日君に、 「本当に、待たせちゃってごめんね。でも、ドビュッシーのあの作品は、実にいいね。すごく勉強になったよ。ま、ともかく、絶対にこのドビュッシー一緒にやってみようね。」 と答えました。そして、信じられないことでしたが、筑波大学には、普通の教室にもグランドピアノが一杯あって余っていて、練習場所は、もっぱら、筑波大学の教室でした。 彼は、宮城県の山奥の出身でした。親元を離れて東京に出て来たかったそうなのですが、諸般の事情から、筑波大学医学部に入学したため、 「ついに、東京までたどり着けなかったんだ。」と、冗談を言ってました。この時、既に、ぼくの中では、彼とのデュオの作品を書くのならば、田舎風なドメスティックな作品がいいな、というプランが生まれていました。でも、クラリネットとピアノのデュオの作品なんて書いたことがなかったので、ともかく、彼と合わせている内に何かいいものが浮かべば、一緒に合わせてプレゼントしてあげよう、と思っていました。 こうして、いろんなデュオの曲を一緒に合わせるために、何回も筑波学園都市の方に行くことになったのですが、3年ほどたった頃のこと。彼とのデュオの練習からの帰りの常磐線の中で、この曲の第一主題と第二主題が突然浮かびました。そして、ぼくも、四国出身の田舎者だということ等の理由から、その日家に帰って3時間くらいで、一気にインプロヴィジョンで書いたのがこの作品でした。 が、この自作自演での第1位受賞の背景には、哀しい思い出もあります。ぼくの音楽エッセイ集に掲載していますので、御覧下さい。(→ 「マシェーズから座光寺君に宛てて」) 以下解説は、1988年6月.春日茂君に献呈し、初演した際の1988.5.1.執筆の添付文言です。 初演にあたり、スコアの表紙には、アマチュアフルーティストの朝倉慶夫さんのイラスト集より、ぼくの大好きなものをいただきました。何のへんてつもない日本の農家の絵ですが、このイラストの最大の魅力は、その上に広がる雲の形にあります。まだ、ぼくが郷里の四国の高松にいた小っちゃかった頃も、こんな風に雲が夢いっぱいに広がっていたのかもしれないな…、といった風なノスタルジックな気分でこの曲が演奏されるといいですね。 が挙げられるかと思います。この曲はまさにクラリネット以外の楽器ではフィットいたしません、それ程クラリネットにぴったしの采配だということです。そして、「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジーOP.58」より作曲者の外へ向かって語る量が多いようです。この曲の第一主題に対してMM=132というテンポは極端に速いのです。それで、喉を締め上げた様な効果が出ているようです。クラリネットの高い音域とマッチしています。そして、下音域にもぐりこんでゴソゴソと陰にこもる、この辺の対照がすごくいい。作曲者自身でルーラルだと語っていますが、私はそれに加えてアーバンなタッチも感じます。どことなく冷たくドライなフィーリング。作曲者はモーツァルトやブラームスのようなクラリネットの使い方はしたくないと言っていますが、なるほどと思う。モーツァルトのクラ5の包まれる様な暖かさ、ブラームスのトリオでの悟りの澄んだ響き、これらとは違う。クラリネットの持つ可能性を別の面からスポットを当てて成功している。そういう意味においても、豊富なオリジナリティーがある。(1988.9.28.八木下茂評) 1989.2.12.カザルスホール第2回アマチュア室内楽フェスティバル 1988.8.7.目黒音楽仲間たちサロンコンサート 1988.5.1.『クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディー
OP.61』
でも、APAの閉鎖的な弦楽四重奏団の人達等においては、(ぼくなんかの作曲する立場から言うと、全くナンセンスなことですが)オーケストラで演奏をしている管楽器奏者としか『フルートカルテット』や『クラリネット五重奏』は合奏しない、ブラスバンドのメンバーと合奏するなど言語道断だ、という人達が大半でした。大体、このような発言をする弦楽器奏者は、自分の楽器がピアノより高価なので、ピアニストよりは高級な人間だと思っているのですが、残念ながら、モーツァルトがチェロソナタを作曲していない等、ピアノと違って、自分が合奏に加われない作品しか書いていない作曲家が多々いらっしゃることから、ピアニストに対して大変なコンプレックスを持っているのですが、それをひた隠しにして、合奏の際、ピアニストをいじめてうさ晴らしをしているような下らない連中が多いのです。
だから、APAの理事会なんかで、某弦楽器奏者が、春日君のクラリネットの技量について、「彼はブラスバンド出身なのに素晴らしいね。」何て言ってる人に対しては、ぼくも、絶対に黙っちゃいませんでした。「ぼくの大切な友人で合奏仲間の春日君を『ブラスバンド出身だ』なんて差別する連中は許さないよ。」と喧嘩を吹きかけていました。
実際、ぼく自身、中学生の一時期、ピアノから浮気してブラスバンド部でトランペットを吹いていた経験があったので、このような、ブラスバンドや管楽器奏者を軽蔑する楽器演奏家は音楽家じゃないと思っています。
まあ、大体、こういう人達に限って、「トランペットはモーツァルトの大嫌いな楽器だった。」何て論評を平然と言ってのけるのですが、呆れ果てた言い分です。
室内楽だけじゃなく、交響曲も全作品のスコアを読んでから、作曲を勉強しているぼくにはモーツァルト等の偉大な大作曲家については意見を述べてもらいたいものだと思ったものでした(笑)。が、大体こういう、音楽よりも自分の楽器を愛好している人達は、自分の楽器が活躍する作品しか聴かない程度なのですが、でも、いっぱしの演奏家だと思い込んでいる人達が多いので、音楽に関する一般教養の不足から、何を言っても「猫に小判」なのです。また、古今東西のほとんどのクラシック音楽の作曲家がピアノを使った作品を書いているので、この点においても、ピアノをやっているということは、全てにおいて、他の楽器よりも優位に立てるのは仕方ないことなのですから、他楽器をやっている人達がピアニストにコンプレックスを持って攻撃する暇があったら、その人も、ピアノを演奏する練習をすればよいだけのことなのですよね。
が、「春日君は、一緒に合奏していた岡田さんが作曲作品で応募したお陰で『カザルスホール』にも出演出来た。」何て、陰口を叩く連中が、APAの中にはたくさんいました。彼らによると春日君は『寄らば大樹の陰』を旨として生きている情無い演奏家だとのことでした。が、春日君とぼくが、ぼくが作品を作曲して献呈したいほど親しくなったのは、ごく自然の出来事でした。第一、この作品は、春日君の人となりとぼくが出会っていなかったなら出来なかったものなのですから、このあたりの作曲家と献呈したい演奏家のデリケートな人間関係等は、陰口を叩いている人達の理解の外にあるのです。ぼくは、こう思っていますよ、「悔しかったら、あなたも対位法や和声学を勉強して作曲をしなさい。」と。人の音楽活動に陰口を叩くことが日常的な、音楽での表現や、室内楽においてそれを実現させるために必須の人と人の出会いにおいてすら、自分の本音を直接口に出来ないような人間愛のない人達には、室内楽を演奏する資格なんか全くないのです。
ですから、ここを読んでいる、APA会員の皆様は、全部ひっくるめて、ぼくとぼくの室内楽演奏仲間や作曲作品を献呈した親友に関する陰口は一切許しません。言いたいことは、直接、ぼくに言いなさい。会員名簿も手元にあることですから、陰口のはなはだしい会員の固有名詞を、ウェブ上で公開すること等、非常に簡単なことですよ(爆)。・・・・・まあ、そんなこんなで、ぼくのホームページはAPA内の一部心無い会員の存在ゆえに、APAとリンクしたくないのでしていません!
『クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディーOP.61』
・・・・・春日茂君に献呈
むしろ、ここでは、地縁、血縁関係や義理と人情にがんじがらめにされている側面から、
また一方で、その一員となってしまえば、常にぬるま湯で居心地のよい状態のような側面等まで、あらゆる側面を含めた、
日本の「農村」に代表される「地方」の持っている、いわゆる、「田舎的な」という意味で、“ドメスティック”という言葉を
使っています。
日本人が農耕民族だということを考えるなら、これはイコール「日本的な」という意味だ、と理解していただいてもよい言葉
です。
では、どうして、このようなテーマで曲を書いたのかといいますと、1つには、ぼくの中でクラリネットの音で最初に浮かんだ、
日本的な音列の3つの主題と、それから派生してくるモチーフが一定のタイムラグを経て頭の中で浮き沈みしつづける間に、
とても気に入ったからです。
ぼくが日本人だからなのかもしれません。まあ、そう言ってしまえばそれだけのことなのでしょうけど、
ぼくは日本人だから日本的な曲を書かなくちゃいけない、なんて使命感を持ったことは一度もありませんし、
また逆に、芸術家はコスモポリタンなのだろう。いや、そうあるべきなのだ、と誰かが言っていたのをはるか昔に聞いたような
気がするのです。
けれども、ぼく自身は、かなり以前からたどりつく目的地のない状態で曲を書いているので、そういうこと自体,意識したことが
ないのです。
創造活動の中で、どのようにモラルを装ったり、ポーズを取ったところで空しいことです。
ただ、どこにたどりつくのかはともかく、自分の音楽的なエッセンスをひたすら素直に見つめることだけはずっとやって
きましたから、この曲の出来上がりもまた、その一つだということです。
“ドメスティック”をテーマに曲を書いたもう1つの理由は、クラリネットという楽器との出会いにあります。この、
どろくさくて、モコモコした、井の中の蛙みたいにさえない、そして、付和雷同で責任転嫁的な音色、
それでいて、ものすごく自己主張を持った粘り強い響きは、日本の農村そのものです。
従って、この曲の演奏はクラリネット以外の独奏楽器では考えられません。
クラリネットという楽器を使った曲でぼくの一番好きな曲は、ドビュッシーの「プレミエラプソディー」です。
3年前に、筑波大学オーケストラでクラリネットを吹いていた春日茂君と初めて合わせたこの曲が、ぼくにとって初めての
クラリネットとのデュオ曲でした。
が、彼のルバート感覚や、フレーズの取り方がぼくの持っているものとピッタリ一致していたという、百人か千人に一人の
得難い合奏相手との出会いであった、ということもあり、とても鮮烈な体験でした。
また、彼の住んでいた筑波学園都市近辺の農村地帯で見たもの(土や農家や田植え風景など)は、ぼくの生まれ育った四国
高松の田舎の瀬戸内海を思い起こさせました。
さらに、土浦界隈の街で耳にした、ほんとに田舎風な茨城語のイントネーションは、このドビュッシーの曲の冒頭の田舎臭
い風情や、息がそのまま音になった、まさしく木管、という感じの彼の吹くクラリネットの独特の音色と相まって、
今でもぼくの中では不可分になっています。
もちろん、クラリネットを使った室内楽曲の最高峰は、モーツァルトのクラリネット五重奏ですが、これは別格として、
ブラームスやシューマン、あるいはプーランクのようなクラリネットの使い方をぼくなら、作曲する際にはやらないだろう、
と思います。というのも、クラリネットの大きな長所は、次の3点に集約されるように思っているからです。
* これまで一緒に演奏活動をしてきた、そして、これからもずっと一緒にやってゆきたいアマチュアクラリネット奏者の春日茂君に、感謝をこめて、この曲を捧げます。
横浜市在住の作曲家、八木下茂さんのこの作品に関する書評
クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディーOP.61
最近好評の岡田氏の新しい室内楽曲です。室内楽曲の前ヒット作の「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジーOP.58」の叙情に対して、この作品の叙事的な作風はたいへん現代の気分に合っており構成的にも一段とレベルを上げていると思います。この曲のドライな感覚はビール業界のドライ化ともマッチしていますが、成功の理由を考えますと、
自作「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディーOP.61」
献呈者のクラリネット奏者・春日茂君との共演〔ラヴィーヌ・デュオとして出演〕風景
(大正海上文化財団撮影)
岡田克彦「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディーOP.61」
クラリネット奏者・品田博之君と共演
春日茂君に献呈の際の初版スコア表紙