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岡田克彦;

ヴァイオリンとピアノのための
ファンタジー  OP.58

・・・・・ヴァイオリン奏者・竹内恵梨子様に献呈・・・・・













住友信託銀行在勤時のことです。



私は、1980年から2年間、四国の松山支店に転勤になりました。



15年間の在勤時代中、唯一、首都圏、関西エリアをはなれた勤務でしたが、当時の住友信託銀行は、入社当初1年間は、首都圏か本店のあった大阪近辺で勤務させた後、信託銀行業務で一番泥臭い、個人の新規開拓営業でお金を集める、「財務相談」の仕事を、出身地の近くの支店でさせることになっていました。



私は香川県の出身でしたが、四国に唯一支店のあった松山支店に配属になり、その仕事に従事しました。



早稲田大学政経学部在学当時から、東京ではいろいろな音楽活動が忙しかったのですが、松山に転勤することによって、仕事に集中できましたし、音楽のほうでも、一人で作曲する作業に集約できましたので、私にとっては、とてもいい時間でした。しかも、道後地区の松山市正円寺町にあった独身寮はとても部屋が広かったので、私は持っていたアップライトピアノをグランドピアノに変えて部屋において、かねがね勉強したかったJ.S.バッハの作品を集中的に演奏できました。



クラシック喫茶「ムンダナ」は道後上市にありましたが、私は道後地区を担当していましたので、偶然見つけました。アップライトピアノがおいているのでお聞きすると、オーナーの渡辺さんのお嬢様がピアニストだとのことで、結婚後全く使っていないのだけど、是非、ここで、月に一回アマチュアクラシックのライブコンサートをすることが、渡辺さんの夢だとのことでしたので、「やりましょう。」ということになって、愛媛大学オーケストラ、北条市のバロックアンサンブルも加えて、『ムンダナの演奏家達』というサロンコンサートが行われました。



こうして、「ムンダナ」で出会った仲間達と親しくなりましたが、出張が多かったので、私は、月に1回は、東京か大阪に行って、東京と大阪には、APA(日本アマチュア演奏家協会)がありますので、そちらでも、活動していました。



ティボーの演奏するヴァイオリンの音色に魅せられたのは、この「ムンダナ」でした。



外は小ぬか雨が降っていましたが、それを眺めていると、自然に、ヴァイオリンとピアノのデュオ作品が浮かびました。



が、その直後、また、東京に転勤で戻ったので、この時のモティーフで完成させた、私の、室内楽作品の処女作が、この「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー OP.58」でした。



初演は、いつも、フォーレの室内楽をご一緒していた、ヴァイオリンの竹内恵梨子さんで、日本青年館で行われた、1982年のAPA全国大会作曲同好会でした。



が、オブザーバーでいらしていた、作曲家の助川敏弥先生に絶賛されたので、鮮烈な、APAデビューになりました。



この作品は、当時愛読していた、リルケの影響を多分に受けていて、人間の無常感を感じることによって前向きに生きることの大切さを表現しているようです。



若書きながら、25歳当時としては、ベストを尽くしたものでした。また、この作品が契機になって、作曲の恩師、故.座光寺公明氏、故.小倉郎氏とも出会えた、私にとっては、大切な作品です。



それだけに、この作品を演奏したい、APAのヴァイオリン奏者はいろいろ演奏して下さいました。が、フルートの人がやりたい、と言ってきた時には、絶対に演奏することを禁止したものです。



重音がかなり出てくる作品ですので、フルートでは演奏不可能でしたし、そこを単音にしても、私のイメージしたものは、松山市の道後上市に降る小ぬか雨がヴァイオリンの音色に合う、ということでしたから、仕方ありませんでした。



私は、楽器を選ばない、J.S.バッハのような天才作曲家でもないので、このあたりは、極めて謙虚に生きています。



この演奏は、1985年8月18日の、『ピアノと遊ぶ会』サロンコンサートライブで、献呈者の竹内さんと合わせた時のライブ収録です。










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