予約宿名人 予約宿名人 ご来客数; 第1回 高松・室内楽サロン 『ヴィオラとピアノの夕べ』 香川県高松市林町「逸(すぐる)珈琲店」無料サロンコンサート ヴィオラとピアノのデュオサロンコンサート ・・・・・春先の静かな夕べの、楽しい室内楽演奏とおしゃべり・・・・・ 日時;2008年3月29日(土)19:00〜20:30 場所;高松市「逸(すぐる)珈琲店」 (〒760-0029 高松市林町1545-1 電話 087-868-0808) ヴィオラ;清崎若伸 作曲、編曲、ピアノ;岡田克彦 〔元.『日本アマチュア演奏家協会理事』〕 会費;無料(喫茶店の飲食代のみ) プログラム ※ プログラムは予定です。 (ヴィオラとピアノのデュオ) シューベルト作曲;アルペジオーネソナタ 岡田克彦作曲; ヴィオラとピアノのためのパストラール(瀬戸の夕焼け) OP.122 (トークタイム)
現在24歳の社会人になったばかりの、神戸在住のアマチュアヴィオラ奏者の清崎若伸氏から ・関西のアマチュアオーケストラなどでの活動と室内楽への取り組みについて ・四国・高松の印象 ・高松で食べたさぬきうどんの感想 元・日本アマチュア演奏家協会理事の、51歳になって人生が3分の2、終わってしまった(笑)作曲家の岡田克彦から ・1994年に母の介護のために四国高松にUターンするまで、東京、大阪で室内楽コンサートをたくさんプロデュースして、 ピアノ演奏で加わっていた経験からの、室内楽の重要性について ・絶対音感と相対音感の違いと、Aの音の周波数の変遷について ・ピアノソロと室内楽の違いについて ・純正調と平均律の違いの人間の癒しに関る効果の違い、ピタゴラスの音楽比例式、和声的解析のご案内
(質疑応答) (ピアノソロリクエストタイム)
※ 次回の、清崎君の来高は、ゴールデンウィーク前です。関西のアマチュア弦管楽器奏者の仲間も誘ってきていただければ、
香川県内在住のアマチュア弦管楽器奏者との交流も出来ると思います。その編成に応じた、新しい室内楽曲を、私、岡田克彦が
作曲してお迎えし、また、日本アマチュア演奏家協会関西支部「ピアノと室内楽の会」にも高松から出かけていって、共演
が出来る状況になりました。
室内楽の水準は、東京がダントツです。が、まあ、近場からぼちぼちと固めてゆきたいと 思っています。 ざっくりした予定ですが、一年後に関西との交流を、二年後あたりに中部地方との交流を固めたいと思って います。 が、その前に、札幌から管楽器を持って、私と合奏するために高松にいらっしゃる若者がいるので、地方都市同士の 交流も進んでゆくと思っています。 東京で活躍していた当時の私の経験で、東京以北の地域の方が、クラシックの室内楽活動は活発で、 逆に、ポップス、フォークのバンド、ジャズのセッション等は、九州などの西地区が活発ですので、 当然だと感じています。 日本は狭い島国です。国境すらない音楽においては、遠い、近い等は全く関係ありません。21世紀を担う若者達のために、 室内楽愛好家のためのいい音楽環境を地方都市に広めてゆきたいと思っています。 東京には、素晴らしいアーティストが集中していますが、バブル崩壊後の長期にわたる不景気の中で、文化的に失われた ものは取り戻せないだろうと思っています。ことに、東京における、拝金主義の横行は目に余るものがあり、M&Aが日常的に 繰り返されるような殺伐とした状況から、音楽に癒しのみを求める風潮があり、またそれを利用してお金儲けにいそしむ、 自称・作曲家の、作曲屋の出現が日常的になっているようです。 従って、室内楽を作曲して共演仲間にその作品を献呈したい、作曲家の私としては、関西、中部地方、に続いて、 仙台、札幌、福岡等の地方都市の室内楽愛好家との交流の方を、東京の室内楽愛好家との交流よりも、優先順位を高くした いと思っております。 なぜならば、作曲屋の作った作品はすぐに換金出来ますが、作曲家の作曲作品は換金できない部分が多いので、M&Aを生業に しているような感性の持ち主の住民の割合が高い東京に住んでいる人達には、作曲作品の正しい解析が困難であろうと感じて いるからです。 もちろん、クラシック音楽は、元来、個人主義的なものですから、人それぞれによって違っています。 しかしながら、クラシック音楽の起源は、中世・ルネッサンスのヨーロッパに遡るもので、拝金主義の発祥地のアメリカ発祥 のものではありません。そして、現在の日本各地の状況を拝見する限りにおいては、地方都市の方が、ヨーロッパの地域コミュ ニティーに相当するものが多く残っていると感じるからです。 象徴的な言い方をするならば、例えば、『六本木ヒルズ』という題名の音楽作品を作曲したいと思う人に、私は、全く興味が ないのです。作曲屋の皆様ならば、ギャラが多ければ、『六本木ヒルズ』という音楽作品をお金儲けのためにお作りになる ことと思います。が、その作品が、例えば、J.S.バッハの『マタイ受難曲』のように、300年後に聴く人に感動を及ぼす ものだとは、とても思えないのです。 |