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高松市・K様宅
『岡田克彦と仲間達・クラシックホームコンサート』
〔2009年11月26日(木)18:00、または、19:00あたり〜〕









東京・目黒ミュージックプラザにて、クラリネットの品田君との自作室内楽の演奏タイトル大阪サンガーデン堂島ピアノバーでの、ピアニストの須江太郎君とのジョイントサロンにて
Katsuhiko Okada (Composer) Official Web Site
楽器演奏仲間達との恍惚、不安、熱き心を忘れずに





2009年11月26日(木)16:00〜、高松の私のファンのKさんのお宅で、東京、大阪の私の音楽の親友も集まって、完全クラシックのホームコンサートが開催されることに なりました。



事の発端は、2009年10月のとある昼下がり、高松市在住の、K様との出会いにありました。

すなわち、私の高松市西宝町の自宅近所の、 茶房に、行きつけの讃岐うどん店「やま家」で昼食をいただいた後、自転車で自宅に帰る途中、初めて入った時に出会いました。

この茶房は、入口が和風に装飾されていたので、生前の母を、主治医の私の同窓生が院長をしている「番町大林病院」に車に載せて連れて行く時に、いつも通る道沿いに あったので、車中の母が、「いつかあそこの喫茶店行きたいね。」と言っていたお店でしたが、それをかなえる前に母は他界しましたので、少なからず、感慨のあったお店でした。



私の座ったボックス席のすぐ横のカウンター席に、Kさんは腰掛けて、ママとお話していましたが、すぐに、初対面の私に話しかけてきました。

「どうして、このお店にいらっしゃったのですか。」と。

私は、亡くなった母の介護のことや趣味の作曲のことなど、包み隠さずお話しているうちに、ママさんも加わって、いろいろなお話で盛り上がりました。しかも、Kさんの ご出身校が、四番丁小学校だったので、私の、大先輩でした。お二方とも、介護されていたご家族を最後まで看取った方達でした。



「私は苦労してきた。」と言っても、いろいろな苦労があります。

お金の面で、バブル崩壊以来の長い不景気を乗り切ることに苦労した方もいらっしゃることでしょう。

しかし、このお二方と私は、愛する人を介護することを自分の手で行った、という、一番、精神的に苦しい苦労をしていたという共通項で一致していたのです。 お二人の経験をいろいろ聞かせていただいたので、私は、東京から転職してUターンしてまで、介護していた、最愛の母・岡田直子が2006年8月17日の昼食後に自宅で突然脳幹部脳内出血で 倒れ、意識不明のまま、2006年9月19日に、香川県立中央病院脳外科集中治療室で、私の目の前で息を引き取ったことや、一周忌まで虚脱状態だったこと、 一周忌が終わってから、母の追悼のための作品のピアノ組曲 「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)を作曲して、母の大好きだった栗林公園の庭園コンサートで初演したこと、 ここの喫茶店は前の道を母をぼくの車に乗せて毎日通院に連れて行った、私の同級生だった大林君に主治医を頼んでいたので、彼が後をついで院長をしている 番町大林病院につれてゆく時に母が見て、「いつか、あの喫茶店に行きたい。」と言っていたんだということ、等、いつものように、隠し事が嫌いな私は、洗いざらいお話しました。



こうして、すっかり仲良くなったお話の最後に、Kさんが

「私の自宅で、ホームコンサートをやっていただきたいです。お母様の追悼の作品『記憶の底の栗林公園 OP.111』を是非、聴きたいので、まずは、会場を見て下さい。」

と、いきなりおっしゃって、乗ってきていた彼女の車に載せられて連れて行ってくださいました。丘のてっぺんのピアノのあるお宅で、素晴らしいお茶室もついていました。 Kさんは、お一人でいろいろと活動されていましたが、ご主人様は、たぶん大実業家でいらっしゃるのだろうと、私は推察いたしました。

私は、ピアノに向かって、母が一番好きだったシューマンの「トロイメライ」に始まって、ショパンやら自作をいろいろ演奏していると、Kさんは、大変に感動されておっしゃいました。

「ああーーー。ここから見えるお庭の木々も高松の町も空気も、全て、違って見えるわ。」

素晴らしい感受性の発露したご感想でした。そして、続けて、

「あなたの演奏をうちに出入りしている大工さんや庭師さんにも聞かせたいわ。」

これが、決め台詞になりました。音楽の一番大切なところをこの人は、生まれ持ってわかっている、と確信しましたので、私は、

「ホームコンサート、やりましょう。私自身、大工さんや庭師さんの感想が一番聞きたいです。」

と答えました。

さらに、東京や大阪にも音楽の友人がたくさんいると言っていた私に、

「その皆様方も呼べばいいじゃない。宿泊はOKよ。」

とおっしゃって、高松市塩江町の温泉を引っ張った別荘のマンションにも連れて行って下さり、

「岡田さんも、作曲でお疲れになったときには、いつでもここにいらして休息してください。」

とおっしゃって下さいました。

こうして、2009年11月26日のホームコンサート「岡田克彦と仲間達」の開催が決定しました。



まず、GREEで出会った、東京のソムリエのWさんがいらして下さることになりました。

さらに、大阪の旧知の、母の介護でUターンする直前の1992年に私がプロデュースした『福島区民文化のつどい』の主催団体の「大阪市福島区コミュニティ協会」の役員をされていた、 当時大阪市勤務だったNさん(現在は、ご勇退後、奥様にも先立たれ、一人暮らしだそうですが、アマチュアテノール歌手として活動されています。)から、突然、 ホームページを見たので、とメールのやりとりがあり、お電話いただき、懐かしい懐かしい声を聞けました。私の母が逝去したことに対して、是非、ご仏壇の前で、 「千の風になって」をあなたのピアノと合わせたい、とのことで、2009年11月26日に出演したいので、その一週間も前から高松にいらして私の自宅に滞在してくださり、毎日、 うどんを食べたり、私と合奏したい、ということになりました。


こんなことが同時に起こることは、私の生涯でも一度きりだと思っていたのですが、Kさんの、

「このホームコンサートはずっとリピートしましょう。」

の一言で、ずっと続くことになってしまいました(笑)。



11月26日には、ワインを愛好するKさんの友人の皆様もいらっしゃいますので、まさに、一期一会のいいサロンになりますので、 東京の私の友人のソムリエのWさんがいらして下さるのはちょうどよいことです。



コンサートはプログラムなしの完全サロンで、私の友人の、大阪のテノール奏者のNさんもいらっしゃいますので、その時に彼と演奏する曲も作曲中です。



自作自演を、またまた、楽しく出来る機会が増えて楽しい限りです。



この、クラシックホームコンサートは継続的に開催されるそうで、K様には、とても感謝しています。








注目エッセイ :
『失われた時のために』   『梅の香りは、変ト長調』
『メルヘン「ラブ・ユー・フォーエバー」』(朗読文面付き)
『ショパンの「雨だれの前奏曲」を弾き始めて』
『高松高校の甲子園出場と、さぬき弁、さぬきうどんのこと』
『マシェーズから、座光寺君に宛てて』
『ネルケンの思い出』   『孤独とノスタルジーの果てまで』
『若き日のドビュッシー』   『北ドイツの寂しい午後』
『世界の子供達のためのチャリティ受難曲』
『君と好きな人が百年続きますように』   『千の風になって』
『ぼくの大好きなショパンのこと』   『白骨のお文』
『20世紀末より愛をこめて』   『瀬戸内海のこと』
『栄養マヨネーズの思い出』   『ピアノ奏法について』
『ディヌ・リパッティーのこと』   『ホロヴィッツの思い出』
『グレン・グールドのピアノを聴いて』
『晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔』
『アーティストとして』   『プッツンに関する若干の考察』
『演奏会のプロデュースについて』   『アマチュアとして』
『感覚的な経験について』   『知識と感性、響きと語法』
『海の色も、山の姿も、昨日に続く今日でした。』
『室内楽の演奏について』   『響き合いを求めて』
『芸術家と音楽愛好家について』   『1986.10.10.P.M.』
『母の告別式を終えて』   『母の納骨と分骨をすませて』
『出身地・備讃瀬戸内海地域での演奏再開』
『香川県・さぬきの国に思うこと』
『ドビュッシーの弦楽四重奏曲』
『童謡の中の深い悲しみ』   『東京 VS 大阪』










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