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『ガブリエル・フォーレの晩年に思うこと』
・・・・・「ノクチュルヌ13番 OP.119」、
「ピアノトリオ OP.120」と、クラリネットのこと





作曲家  岡田克彦


(2008.1.15.執筆)



BGM;フォーレ『ノクチュルヌ 第13番 OP.119』(エンドレス)
〔リンク先・signes musique 主宰の ntさん制作MP3〕






このホームページの入口や重要なページに添付している音楽は、私の尊敬する作曲の師匠の、故.座光寺公明氏の作品と、 フォーレの最晩年の作品の、ノクチュルヌ13番OP.119、ピアノトリオOP.120、です。


この私のホームページにおいて、最も大切なページに、故.座光寺公明氏の作品と、フォーレが最晩年に作曲した、代表作2作を 添付していることで、私が作曲家というアーティストとして、何が言いたいのかは、ご理解いただけるミュージシャンには ご理解いただけることと思います。


フォーレは、ショパンの晩年の境地のOP.62のノクターンと、OP.60のバルカローレから、ピアノ、及び、ピアノの入る 室内楽曲の作曲をスタートしました。


そして、生涯に渡って、バルカローレと、ノクチュルヌというピアノソロ曲を、それぞれ13曲ずつ残しましたが、ノクチュルヌ 13番OP.119は、フォーレの最後のピアノ作品でしたし、ピアノトリオOP.120は、フォーレの最後のピアノの入る室内楽曲 でした。


当時、聴覚障害がひどくなり、ほとんど耳が聞こえなかったフォーレが、この2曲を残してくれたことを、私は、本当に有難い ことだと思っています。


特に、この2曲の特筆すべき点は、ノクチュルヌ13番OP.119がロ短調、ピアノトリオOP.120がニ短調、であることで、 大作曲家の最後に相応しい調性になっていることです。


どうして、ロ短調とニ短調が重要な調性なのかは、まあ、200曲以上の作品を作曲してみないと感知出来ないことだと 思いますので、言葉でご説明はいたしません。楽器に頼らずに、絶対音で作曲すればわかることです。


ところで、音楽を作る以外にも、美術作品を作ったり、文章を書く等ということで、人は、自分の心の叫びを、周囲の 人たちにお知らせすることが出来ます。


が、時間芸術、つまり、時間の経過を伴う芸術作品の、舞踊、朗読や言葉による表現は、美術のような瞬間芸術と違って、 音楽による表現と同じ、時間の経過という基本軸にあるので、その中で表現されることに、作曲された作品に共感する 時と同じような感動を得ることがあります。


その点では、ここ、一年間で、私が最も感動した、言葉による表現は、下記の、当時14歳の、京都の中学生で、 クラリネットを吹いていた、GREEというSNSで出会った、一人の若者でした。彼は、2007年10月14日に、 私が香川県立公園の栗林公園で初演した、自作ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」を聴くために、 京都から高松までお越しくださって、聴かれた後、次のようなすばらしい名文の文章を私のブログのレスに書いて 下さいました。






>今、改めて、初演演奏会当日の情景と、お母上様との会話やしぐさなどが脳裏に浮かびながら、時間がたち、 すーと、涙が零れています・・・。

何かを書かなくてはと、思うのですが 涙が止まりません すみません。

あの、『梅林橋』の前の茶店手前で岡田さんとお母上様が一緒に飲まれた熱いお茶・・・・。

春の訪れとともに梅の花が咲き乱れいる情景が、僕の中で揺れ動いています。

当日の演奏会の中で幾度か不思議な現象?がありました。

ピアノを弾いておられた岡田さんの側で、赤いような人影?を目撃してます。そこには物体は無く、透けていましたが、 やや小柄な人影でした。周りの樹木も不思議な陽奇を漂わせていたのを記憶してます。あれは何曲目からだったか、 岡田さんを包み込むような赤い光、あぁ、岡田さんと一緒にピアノを弾いているんだー。成仏しても、岡田さんの事が 大好きでずーと側にいるんだな〜。と感じました。

何とも言えない情景に僕は泣いていました。本当の親子ってこんなに暖かくて優しいんだな。って。

でも本当に来て良かったです。当日は学校の体育祭でしたが、前日の深夜になってから、栗林公園に行かなくちゃあ? 誰かが待っているような錯覚があり、高松に行く決心が付きました。あの時に高松に行かなかったら、不思議な出来事に も合わなかったし、樹木が語りかけて来る事も無かったと思います。

僕の方こそ感謝してます。






この感想文は、私が初演した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」の中心のピアノ小品で、この18曲中、 一番最初に出来て、組曲全曲の構想が浮かんだ14番目の中心作品の『梅林橋の梅』を彼が聴かれた時の感想文です。


「褒めてくれたから嬉しいだけじゃないの。」なんて、感想を持つ方は、こんな文章が瞬時に書けるかどうか、考えてみて くださいね。


言っておきますが、瞬時に書けないといけないのですよ。読む人が喜ぶかどうか等の個人的な気持ちを考えたり、その後の 世俗的な影響を考えて、文章を練って練って、何年もかければ、誰でも書けます。しかし、感受性の鋭い方ならば瞬時に 書けるのです。


このレスを読んで、私は、彼の鋭い感受性を瞬時に嗅ぎ取りました。もう何も説明しなくていいと思いました。私の心の叫びは、 音楽を通して、確実に彼に伝わったことが間違いないと思ったからです。


こういう体験が出来るからこそ、私はずっと作曲活動を続けているのです。


そして、こういう出会いが、まさしく、芸術的な出会いなのです。


そして、彼が、クラリネットとオーボエを演奏していることを、私は後から聞き、私の感じた第一印象が間違いなかった ことを確認しましたけど、これは、確認に過ぎないのです。彼がもし、楽器なんかやってない、音楽と無縁の人であっても、 作曲者の私は感謝して、感動しました。


自分の作曲作品の初演等を通して出会う人たちとのハートとハートの触れ合いとは、そういうものなのです。


社会的な常識や慣習や影響力や年齢や性別なんか、全く無関係なのです。


なぜなら、人間はみな孤独に生きているからです。孤独に生きている中で、好きな人が出来て、結婚したり子供を作ったり することもあるんだと思いますけど、死ぬ時は、絶対に一人です。太宰治みたいに何回も好きな人と心中する方も、まま、 いらっしゃいますけど(笑)、死ぬ時は一人です。そして、死ぬ時は一人だということをわかって生きているのです。


この厳然たる事実が大前提になって生きている以上、人と人のハートとハートの触れ合いは、 前述のようなものなのです。


言葉や美辞麗句で飾っても、そのようなメッキは、きちんと自己表現している芸術家の前では、 すぐにはがれてしまうのです。


ガブリエル・フォーレが、晩年行き着いた境地は、間違いなく、この、孤独に生きている人間一人一人のハートに直接届く ものです。


だから、私は、私のホームページの大切なページのBGMに、ガブリエル・フォーレの最晩年の作品を 添付しているのです。






自宅にて


さて、2007年10月14日の『栗林公園庭園コンサート』出演にあたり、最初私は、母の一周忌前だったので、 「母の追悼のためのアレンジ」、というものを演奏曲目に入れるプランをお話したら、プロモーターを担当している、 某プロモーター会社のド素人の方から、こう言われました。


「『栗林公園』は香川県立公園です。あなたがお母様を失った個人的な感情を聞きに来る方に訴えるのはいけません。 楽しく前向きな曲にして下さい。出来ればスウィングした方がいいですね。」


なんてバカな発言をする素人さんだろう、って、私は笑いましたよ。世間一般の常識や慣習がこういう発言を生む背景に あるのでしょうけど、モーツァルトやフォーレの『レクイエム』を聴いて、励まされて前向きになった方は、数え切れない くらいいるのですからね(笑)。


私が初演した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」は、母の追悼が中心テーマでした。ただ、母が栗林公園が 大好きだったので、この曲を作曲して初演したのです。


結果、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」は、聴衆の皆様を、初演の瞬間は、悲しい思いにさせたかもしれない のですけど、後で、いろいろな方からいただく感想の大半は、次のような前向きな内容でした。


「岡田さんが、お母さんの手を引いて栗林公園のお茶室の『掬月亭』まで連れて行ったとき、お茶室にたどり着く前に、 お母様の腰が痛くなって歩けなくなり、『梅林橋』のたもとの茶店で一服して家に帰った思い出の作品を思い出す度に、 ああ、そうだよな、ぼくにも年老いた母がいて、もしかしたらそういうことが起こるかもしれないな、って思ったので、 生きているうちに親孝行しようと思って、母をヨーロッパに連れてゆくことにしたよ。」


不幸にして、私の母は肝硬変の末期症状で骨粗しょう症を患っていたので、ヨーロッパに連れてゆくことは出来ず、 『栗林公園』の『梅林橋』までしか連れてゆけなかったけど、その思い出を曲にした『梅林橋の梅』を聴いた人が、 そう思ってくれて、お母様をヨーロッパに連れて行ってあげようと思ったのならば、本当に、この作品は成功だった、 作曲して初演してよかった、と思いました。


・・・・・以上述べたことが、私の尊敬するヒューマニストの小説家、トーマス=マンの言う、『弱さのヒロイズム』 なのです。お金等の世俗的要素は、付随してくる物に過ぎません。大切で不可欠なことは、自己顕示なんかとは無縁の、 暖かいハートなのです。


今回の、彼との出会いを経験して、私は、ますます、クラリネットという楽器が好きになりましたので、またまた、 クラリネットを使った作品を作曲しようと思っています。


ちなみに、ご存知の方も多いと思いますけど、フォーレが最晩年に作曲した、ピアノトリオOP.120は、最初のプランでは、 クラリネット、チェロとピアノの三重奏曲だったのです。


掲載写真は、私の愛聴しているCDの、ジャン・フィリップ・コラールの演奏している、フォーレのピアノ曲全集を持って 自宅書斎で写した写真、です。











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