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想像以下の“今”はない




作曲家  岡田克彦


(2013.7.15.執筆)







BGM;R&Bシンガーソングライター・米倉利紀氏の、
「hands」・ライブでのキーボードとのデュオ

ライブ収録より
〔ボーカル;米倉利紀〕



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「岡田さん、R&Bってご存知ですか。」


ボーカリストの27歳の山本君は、私の自宅に遊びに来て、私のピアノと一緒にいろいろコラボをやって遊んだ後、ミネラルウォーターをぐっと飲んで、私に言いました。


「何だいそれ。」と私。


「リズムアンドブルース、ですよ。そんなことも知らないのですか。」


「うん知らないよ。何か音楽のジャンル名なの。ぼくは、ドビュッシー、フォーレと、J.S.バッハ、あたりは大好きだけどね。ごめんな。年寄りのおっさんだから。」


「そんなつもりじゃないですよ。ただ、ぼくの好きな音楽を知ってもらいたくて。」


まあ、自分のプライドを満たすために、知らないことをわかったように言うことは、私は、自分のライフワークの音楽ジャンルにおいては、これまで一度もしたことはありません。 ごくごくあたり前のことですが、ソクラテスの言う「無知の知」を何歳になっても素直に言えることが、アーティストとしては必須のことだからです。


自尊心を満たすくらいなら、50年以上作曲をやって来た私は、対位法の禁則事項について、「こんなことも知らないの。」と言ってしまうことは簡単なことなのです。


もちろん、相手が自尊心や年の功を武器に、ガタガタ騒ぐような俗物なら、私は絶対に許さないですよ。


しかし、山本君は、私の大切なコラボの相方なのですから、私は続けました。29歳程度の年の差なんて、音楽芸術においては、まったく無意味ですからね。


「山本君、R&Bについて教えてよ。」


こうして、山本君は、R&Bについて、いろいろ親切に教えてくれました。


その結果、これまで、彼がやりたいと言ってコラボした、エグザイルのあつしがカバーしている作品などが気に入っているのも、全て、あつしが、R&B、のボーカリストだということ、 彼がこれからやりたいと思っている、米倉利紀氏もR&Bのシンガーソングライターだということがわかりました。


もちろん、私も自分でいろいろ調べましたので、R&B出身のアーティストにもいろいろいることがわかりました。が、基本が、黒人霊歌につながる点において、R&Bを起点にしている人は、 少なくとも、人間の内面に深く沈潜してゆくアーティストだということ、だから、そんじょそこらの、ミーハーなシンガーソングライターとは違うこと、などが理解できました。


例えば、エグザイルのあつしは、ボーカルソロでは、絶対に日本語の作品を大切にしていることなど、全て理解できましたし、彼が、キーボードで弾き語りをしていることや、幼少期に ピアノをやっていたことなど、全てが、瞬時に理解できました。


こうして、米倉利紀氏の作品をいろいろやったのですが、最高傑作は、『hands』だ、私はこの作品を自分でアレンジしたい、と、私は確信したのです。


この、『hands』は、ラブソングの外見をしていますが、非常に深い、ヒューマニズムを歌った傑作です。


さすがに、私でも、米倉利紀氏の『Yes,I do.』は耳にしたことがありました。


しかし、「今でもね、今でもね」「でもでもね、たまにはね」「この頃ね、この頃ね」「いつだって、いつだって」、のモティーフの音列が、もうひつこくてひつこくて、 気に入らなかったので、無視していました(笑)。


もちろん、この部分がなかったら、この作品は、阿呆がたくさん生きている、今日の日本では絶対にヒットしなかったと思いますから、それだけのことにすぎません。


しかし、芸術的作品の価値は歴史が決めるのです。J.S.バッハの「マタイ受難曲」のように、300年以上の賞味期限があるかどうかが全てなのです。


米倉利紀氏の『hands』は、間違いなく、100年以上は残る傑作です。


『Yes,I do.』の、「今でもね、今でもね」「でもでもね、たまにはね」「この頃ね、この頃ね」「いつだって、いつだって」、なんて歌詞は、100年後の日本人に理解されませんが、 『hands』の、次の部分の歌詞と、それに付き添った音列は、普遍的なのです。


そんなことを想う時間が 何故かちっちゃくて好きなんだ

これくらいが丁度いい 想いを寄せる優しさが良い

想像通りの"今”がある、想像以上の“今”もある、想像外の“今”はあるけど、想像以下の“今”はない


この中でも、特筆に価するのは、三番目の歌詞、


「想像以下の“今”はない」


これは、決定的ですね。


アーティストは、絶対にオプティミストでないといけない、という、絶対的なことを、さりげなく、この歌の中で歌っているのです。


この点に気づいた瞬間、私は、これをピアノとボーカルのデュオでアレンジする際に一番大切な、モティーフの原型が浮かびましたので、それでアレンジしました。


『hands』という傑作作品が出来た、全ての状況に、深く深く、感謝しています。











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