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『ピアノ奏法について』



ピアノと遊ぶ会会長(作曲・ピアノ)
岡田克彦


(1987.12.執筆、「ピアノと遊ぶ会会報」1988年1月号から9月号までに、5回に分けて連載)


BGM:岡田克彦「『口笛吹きと小犬』のテーマによるパラフレーズ OP.59」


〔1988.8.14.東京・キネブチピアノサロン『ピアノと遊ぶ会』自作自演ライブ収録 〕






ピアノを始めたのは3歳の時でしたので、もう随分長く弾いています。が、ぼくの場合、ピアノ演奏が作曲活動と不可分でした ので、楽譜に忠実に、先生の言うとおり素直に等ということは、まあ、ありませんでした。が、自分なりのやり方に加え、 東京に出てきて以来出会った、周囲のたくさんの、プロ、アマチュアの人達のやり方から経験的にいろいろと教わることが多く、 それなりに勉強になった点がたくさんあります。ところで、この『ピアノと遊ぶ会』は、アマチュア作曲家の仲間が中心になって、 ちょうど11年前に、東京の吉祥寺で発足しました。作曲家やピアニストが中心になったサロンコンサートプロデュース集団が 東京に初めて出来始めた頃でしたので、当会と同じくらい歴史のあるサークルは、現在、2つ位しかなく、従って、会員数も、 毎回のサロンコンサートに集まるオーディエンス数も、現状、東京では最大です。会員のピアニストは、非常にレヴェルが高い と評価いただいており、芸大、桐朋、武蔵野、国立の四音大のピアノ科学生、及び卒業生と、トップアマチュアの人達が中心に なっています。その中には、既にソロリサイタルでデビューしている人達、日本音楽コンクールや国際音楽コンクールで入賞 している人達も多いため、会報上への投稿においては、この種のテーマは、いろいろと周囲の人間関係に抵触することもあって、 みんな回避してきたようです。ですから、このあたりへの若干の反省も込めて、今回からぼくのやり方、考え方について、 書くことにしました。東京を代表するサロンコンサート集団の『ピアノと遊ぶ会』が、その会報に、ピアノ奏法について、 エッセイを掲載すると、周囲のサロン等への少なからぬ影響もある、なんてこと考えると何も出来ないでしょう???  それに、最近、当会にも、大学に入ったばかりの若い世代の仲間が増えたことですし、この会の創設者であるぼくが、まず、 先陣をきって、書くことにしました。身近な問題でもありますので、ピアニスト諸氏の会員の皆様からの続稿、質問、反論を 楽しみにしています。






(1)能力チェックと努力の仕方

日本の社会はもともと農耕民族社会なので、どんな物事においても、人脈、コネ、地縁血縁関係、根回しなどの類が、 個々人の実力よりも幅をきかせることが多いのですが、もともと騎馬民族国家であったヨーロッパ各国で始まったクラシック 音楽、その中でもロマン派の時代以降、飛躍的に発展してきたピアノ独奏の世界は、元来、個人主義的なものであり、 個々人の実力だけでフェアーに評価されるべきものです。従って、ある人のピアニストとしての評価は、指と耳に限って 行うべきであり、音楽性やハートも必ず、この指と耳に付随してきます。

ですから、「全て人間は平等であっても同一ではない。」という、デモクラシーの原点に立って、自分の能力をチェックする ことがいつも大切なことです。これは、何も、才能のない人は上手になることを諦めなさい、という意味ではありません。 ピアノに向かって練習を始める前に、客観的、かつ、冷静になって、自分の能力が現在どの程度であるかを見極める必要がある、 ということです。この、「どの程度であるか」という部分が非常に大切なことで、作曲家ごと、いや、作品ごとに一つ一つの 尺度があります。例えば、この、ショパンのバラードにおいては、この位、自分は能力があるけれども、このブラームスの ソナタについては、この位だ、というぐあいに、自分の能力というものを常にチェックしてゆくことが、とても重要なこと なのです。このチェックを怠ると、無駄な努力に無駄な時間を費やすことになります。

「天才とは努力する才である」という格言がありますが、これは、別に、「天才も凡人と同様に努力しなくちゃならないのさ。」 という意味ではなくて、「天才とは、自分が努力を集中するポイントをわきまえているものだ」という意味です。そして、 自分がどこに努力を集中すればうまくゆくだろうか、ということを認識するためには、前述の能力チェックは不可欠なのです。

さて、努力の仕方の工夫は、人それぞれあるようで、まだぼくが大学にいた頃親しくしていた、ショパンの大好きだった友人の 一人に、ショパンの全ピアノ曲の運指のパターンを28に類別して、その各曲への登場頻度を度数分布で統計分析し、それに よって、自分が練習する順序を決定し、ついに、卒業までの4年間にショパンのピアノ曲を全部やってしまい、ついでにその 分析結果で、専攻していた統計学の卒論を書いた、というあっぱれな人がいました。

また、記憶力が人一倍悪い点を自認しつつも、システムエンジニアという仕事柄、ピアノに触る機会があまりなかった別の友人 は、それでもブラームスのソナタが大好きで、全部造形を失わずに暗譜したい点にこだわり続け、楽譜を曲の最後から読む という(彼一流の)合理的な方法で3ヶ月で全部やりました。最初の日に最後から1フレーズ暗譜し、次の日にはさらに 1フレーズ遡ってそこから最後までやる・・・・・・というやり方だそうです。これを聞いたぼくは、つい意地悪な質問を してしまいました。
「そんなやり方、推理小説を最後から読むみたいだから、つまらないでしょう。」
「いや、それがそうじゃないんだ。ブラームスは曲を書く時、練りに練ってるから、最後から読譜すると、 作曲者と同じ位置に立つことが出来るんだ。予定された展開、予定された再現、全部見えてくるんだ。」
「はあー、なるほどね。」
その後、彼は全てこの方法で暗譜してゆき、ドビュッシーもサティーも最後から楽譜を読んでいました。 ぼくにはちょっと出来ません。

それから、医学部在学中だったY氏は、18歳でピアノを始めるという、本当に晩学だったのですが、どうしても 弾きたかったショパンのOP.10−1のエチュードのために必要な指を動かす筋肉の医学的分析を徹底的に行ない、 それに基づく合理的なトレーニングで、ピアノを始めてたった1年、まだ、ツェルニーもちゃんとやれない時点で見事に やってのけました。この演奏を聴いたぼくは開いた口が塞がりませんでした。ポリーニに勝るとも劣らない完璧なタッチの OP.10−1だったのですから。

以上のような極端なケースは、アマチュアで独学の部分の多い人にとっては、別に珍しいことでもないのですが、 当会には音大の方やずっと先生について先生に言われるとおりにしかやっていない人もいらっしゃるでしょうから、 敢えてご紹介したのです。別にこんな変わったやり方を工夫しても、テクニックがオールマイティーに向上するわけでは ないのですが、少なくともここまでいろいろ努力の仕方を工夫できるという背景には、それなりに自分の能力チェックが 出来ているという状況があります。そして、こうして仕上がった演奏は、ただ、この曲やりたいからやっちゃうんだ、 程度の気持で仕上がった曲よりも、はるかに、聴衆を感動させるものであることは間違いありません。その点、音大の人達、 先生に頼りっぱなしの人達には(全てがそうじゃないですけど)、彼らに比べて自分の能力チェックの不十分な人が多いように ぼくは思っています。

つまり、演奏する曲の選択が能力不相応であったり、作曲家や作品に対峙する時の自分の考え方がきちんと確立されていな かったり、あるいはピアノに向かう姿勢に切実さが不足しているようなところに、そのようなものを感じることが多いのです。

まとめるなら、下記3点になります。

(A)演奏曲目の選択・・・・自分の好きな曲と演奏して効果を上げられる曲の分類

(B)作曲家や作品についての自分の考え方

(C)楽器が好きでそれに切実に向かう姿勢

が、この3点などは、この後述べるテクニックのことなど、実際に演奏に関わる以前に自明のこととして出来上がっていなく ちゃいけないことなのです。そして、一般の日本人ピアニストにおいて、最も欠如しているのが、この一番大事な部分で、 教育方法にも多分に問題があるのでしょうけど、大体これは教わって身につくようなものじゃなく、自分で見つけなくちゃ ならないことなのです。

また、ぼくの経験では、この上記3点の状況で、その演奏家がその後努力することによってどこまで伸びる可能性があるかは、 80%予測可能です。例えば、あるピアニストのリサイタルを聴きに行った時、その人のプログラムの組み方で(A)(B)は、 その人のピアノの弾き様を見ることで(C)は大体判断できる、つまり、演奏の結果を聴かなくても、そのピアニストの伸びる 可能性の判断はできるということです。






(2)「テクニック」と「メカニック」の違い

よく、「彼女はテクニックはあるんだけど音楽性がイマイチだね。」何て議論を耳にしますが、間違った言葉づかいです。 なぜなら、もとよりテクニックのない人に音楽性などあるはずもないからで、この場合は「テクニック」とは言わずに 「メカニック」と言うべきところです。

正確な議論のためには「テクニック」と「メカニック」の概念規定が必要です。「メカニック」とは物理的に指が動くかどうか、 ということ、同音連打が1秒間に何回出来るか、オクターブの連打が得意、三度のトリルや半音階が速くて粒がそろっている、 といった類の問題に関する用語ですが、一方の「テクニック」は、この「メカニック」に音楽性をプラスした用語、であります。 従って、ピアニストが優れているかどうか、とは、「テクニックがあるかどうか」という意味で必要十分なのです。 その人がピアノに向かわない時にどうであるかというようなものは、ピアニストとしての評価とは全く関係ありません。

「テクニック」と「メカニック」について、いくつか例をあげてみましょう。

数年前に来日したデジェー・ラーンキはキャピキャピとうるさい女子大生ファンの拍手にこたえて、アンコールでショパンの 「黒鍵のエチュード」を、何と58秒で弾いてしまいましたが、それが聴衆の耳にとって速く聴こえたかどうかは別問題で、 少なくとも、ぼくの耳には、ホロヴィッツが倍以上の時間をかけたものを速く感じました。それは、ホロヴィッツがタッチを マルカートにやって、一つ一つの音の粒を際立たせているため、ラーンキよりも物理的に速くなくても、速く聴こえてしまう からなのです。つまり、ラーンキはただ、物理的に速くやるという「メカニック」だけで(もちろんその日の聴衆の質から それで十分だと判断したからなのでしょうけど)、ホロヴィッツは「メカニック」だけじゃなく、どうすれば、 速く聴かせられるだろうか」という点について、若干頭脳を余計に使っているということ(この部分が、まさに、 「音楽性」です)。こういう芸当を生まれ持った才能でやってしまえる人はいいでしょうが、そうでない場合は、 ですから「頭のいい人が勝ち」なのです。同様、「英雄ポロネーズ」に出てくるオクターブのスケールも、ぼくの聴いた 限りでは、アルゲリッチが一番、物理的に速く弾いていますが、ここも、レガートなアルゲリッチよりもマルカートな ホロヴィッツの方が、速く聴こえます。このことだけで、ラーンキやアルゲリッチを低く評価することなどはもちろん 出来ませんが、少なくともこうした部分を「速く聴かせる」という点については、ホロヴィッツのテクニックを評価出来ます。

テクニックを駆使した速さについては、でも、ホロヴィッツの上手がいます。何と、それはコルトーです。ショパンの葬送ソナタ の終楽章、もうSP盤の復刻でしか聴けないでしょうけど、機会があったら聴いてみて下さい。コルトーなんて「メカニック」 はガタガタなので、案の定、ホロヴィッツの倍近い時間をかけて弾いてるんですが、鬼気迫るアクセントのつけ方でもって、 ホロヴィッツよりもずっと速く聴こえます。コルトーと同様のアクセントで速く聴かせる「テクニック」を使っているのが フランソワで、ラヴェルの「左手のピアノ協奏曲」については、物理的に一番速く弾いているカザドシュよりもフランソワの 方が速く聴こえます。また、ショパンの「木枯しのエチュード」をフランソワよりも速く聴かせることの出来る人は、たぶん、 未来永劫いないだろうと思います。コルトーもフランソワも大変なテクニシャンです。

「ショパンのエチュードはともかく、ノクターンなんてテクニック的に簡単だよ」と思っているあなた、テクニックはそんなに 甘いものじゃない。ひとつ、OP.48−1のノクターン、楽譜どおりにやれるかどうか試して下さい。この曲の再現部、 ピアニシモ、アジタートなのですが、この通りやれる人、まず、いないでしょう。聴衆にピアニシモとアジタートを同時に 納得させるのは至難の業です。ぼくは、好きな曲だからずっと弾いてますが、はるか昔、初めて楽譜でこの曲のここを見て、 ウ〜ン、とうなってしまって以来、一度も満足のゆく演奏は出来ていません。

一方、「メカニック」について言えば、生まれ持った手の大きさも関係があります。ラフマニノフは1オクターブを6度 くらいでつかめたそうです。また、アシュケナージっていうさえない男がいますが、あの人、三度の「メカニック」だけは すごいですね。リストの超絶技巧の鬼火、ショパンのOP.25−6(3度)をアシュケナージ以上に出来る人はいない ようです。が、これは、アシュケナージの中指とくすり指の長さがほぼ等しいという特殊な肉体的条件に基づく「メカニック」 の問題です。最近、手がけている指揮ぶりから類推して、「テクニック」でないことは明白です。世界一、同音連打が出来る のは、ラザール=ベルマンだそうで、噂では1秒間に16回出来るのだそうです。その他、グルダが、自著の中で自分の弟子の アルゲリッチについて言っている驚嘆の言葉・・・・・「私のトリルの速さには限界があるので、それを知った上で コントロールしなくてはならないが、彼女のトリルの速さは無限大で、限界がわからないので、コントロールなどというものは 彼女の場合あてはまらない。これは、全く恐るべきことだ。」・・・・・これも、「メカニック」に関することです。

以上、「テクニック」と「メカニック」の違いについて、おわかりいただけましたでしょうか。ピアノの場合、「メカニック」 は大体指の筋肉の発達という医学的見地から言って、25歳位までで完成してしまい、それ以後は成長しないのだそうです。 ですから、25歳にならない人は頑張って「メカニック」を伸ばしてください。ぼくは、なおざりにしてしまった「メカニック」 がいくつかあって、やっとけばよかったな、と思うこともしばしばですが、曲をやっていて、そういう箇所に出くわすと、 さ〜て、他のメカで何とかしてやろう、とグロテスクな運指法を考えたりして、逆に燃えて練習できるので、 あんまり後悔もしていないのですが、まだ、若い皆様は是非頑張って下さい・・・・・具体的に言えば、ショパンのエチュード 全部、バッハの平均率全部、モーツァルトのソナタ全部、リストのロ短調ソナタと超絶技巧練習曲の、2番、鬼火、マゼッパ、 雪かき、ラヴェルのスカルボとトッカータ、バラキレフのイスラメイ、ラフマニノフの音の絵、あたりまでは、25歳までに、 「テクニック」を一切使わずに「メカニック」だけで確実かつ楽にやれるようになっておいた方がいいと思います。 で、ぼくも含めて、25歳過ぎちゃった人達、あなたに残された最後のトリデの「テクニック」は死ぬまで成長させられます から、何もしおれることはありません。指は最後に老化現象が来るところで、あのルービンシュタインは白内障で鍵盤が 見えなくても指は動いていたそうですし、管楽器なんかと違って、ピアノは死ぬまでやれるのですから。

まあ、あんまりナーバスにならず、気楽にやりましょうよ!






(3)暗譜について

ぼくたちはいつもピアノソロの曲を暗譜して弾いているわけですが、実際、暗譜して人前で演奏する、という外観は 整えていても、ちっとも即興性なり驚きが出てこないようなこと、何回暗譜で本番をやっても、楽譜を見ながらやっている時 とちっとも変わらないばかりか、どこかでとんと忘れて、とんでもないことになったりってことがあるみたいですね。 これらの現象は、全て、その人の記憶力が劣っているためではなく、暗譜の仕方に問題があるとぼくは思います。

さて、暗譜の仕方について述べる前に、まずは、暗譜がどうして必要なものなのかについて述べるところから始めたいと 思います。暗譜はなぜ必要なのでしょう? 格好をつけるためでしょうか? この曲を仕上げましたよ、ということを聴衆 に示すためでしょうか?

とんでもない。暗譜は音楽のために絶対必要だからなのです!!

演奏スタイルには個々人好みがあって、また、時代の風潮というものもあります。しかし、どのようなものであっても、 暗譜をクリアーしていないものは、絶対に人に聴かせることは出来ません。なぜなら、音楽というのは、時間というキャンパス に書かれた絵のようなもの だからです。つまり、10分の曲ならば、10分という時間を聴衆と共有するんだ、 ということを演奏者はまず、肝に銘じるべきだということです。フレージングの積み重ねによる全体像を示すこと、 これをまず演奏者は何よりも優先させてやらなくちゃならない。楽譜を見ながら演奏すると、その部分のフレーズに どうしても執着してしまい、全体像を見失ってしまうおそれがあります。演奏者がそんなことでは聴衆を納得させる演奏など 出来るはずはないのです。完璧に掌の中に収まったような状態の演奏・・・・・つまり、曲の弾き始めに既に最後の終わり方 を予想させるような完成された演奏・・・・・は、暗譜の後でなくては実現不可能なものだ、ということができます。

では、暗譜の仕方について、ぼくが重要だと思うことは、次の5点です。

1.出来るだけ早い時期に覚えるべきだということ

一番の理想は、ギーゼキングやアルゲリッチのように読譜と同時に暗譜するというやり方ですが、おそらく、 これの出来る人はほとんどいないでしょうから、遅くともピアノに向かって少し弾き始めた段階で、暗譜してしまうことです。 弾けないところを何回も部分練習するような段階になっても、まだ覚えていないなどというのはもってのほかで、 こんなやり方ではろくなものが出来上がらないと思います。なぜなら、細かな部分をどう処理するかも、必ず、曲全体から 眺めて決定しないと無意味だからです。第一、メカニカルに難しいところを暗譜もしないで部分練習するなど、 時間の無駄使いです。本当にメカニカルに有効な練習は、楽譜ではなく指の動きを見ながらやるべきですから。

2.縦(和声)と横(ポリフォニー)のからみを認識しながら覚えること

縦の方は和音の解決を通してフレーズの流れを認識させてくれるものですし、一方の横の方は、記憶を確実、且、有機的な ものにしてくれる効果があります。

3.指の感覚の利用できるものは全て利用すること

これは、ショパン、リスト、ラフマニノフ、ドビュッシーなど、ピアノの機構をよく理解している作曲家の作品において は非常に有効なやり方です。

4.自分は人一倍記憶力が優れているんだという自己暗示をかけ、曲の完成に楽観的になること

何より楽しく記憶しないとたくさんのものは覚えられませんし、また、楽しむ位の余裕でもって記憶したものでないと、 後でそれらを有機的に組み合わせるような応用がききませんので、この種の自己暗示は有効です。

5.暗譜にあたっては、頭と耳と指を使って、目は使わないこと

3ページ目の2行目がどうだった、などという、版が変わったら意味のなくなるような覚え方は楽譜への束縛を強める ばかりで、即興性を生む効果がなくなりますので、基本的には、記憶の段階では目は使わないこと。目は、室内楽を合わせる 時の合奏相手や聴衆の反応を確認する際に必要ですので、暗譜には動員しない方がいいです。

これだけ、頭と耳と指を使えば、暗譜できないはずはありません。それでも、正確さのためには即興性は捨てるべきだ、 などというお考えをお持ちの方には、作曲家は五線紙から曲を書いたのではないということ、楽譜は曲を後世に残すか、 あるいは他の人に伝達するための手段に過ぎないことを敢えて申し上げたい。そして、手段はあくまでも手段に過ぎないもの であって、絶対に目的にはなり得ないものだ、ということを考えて欲しいと思います。

このようなやり方による完全な暗譜でもって本番を迎えられれば、目が自由になります。その目でもって演奏しながら 聴衆の反応を見る余裕が出来れば、もうしめたもの。そうなれば、あなたは、若干のサービス精神でもって存分に自分の 音楽の世界をみんなに知らしめることが出来ます。強弱、テンポ、自由自在なはずです。mfをfにしてもpをppにしても、 聴衆が要求しているならば、そのようにやったって、全体像は絶対に崩れません。そして、CDやレコードではなく、 生で演奏して聴いてもらう価値というものは、こういった蓋を開けてみないとわからない即興的な部分にこそあるのでは ないでしょうか。

有能な読者諸兄にはもうおわかりでしょう。これが常々、ぼくがいい演奏に不可欠なものとして主張している 「芸術的に遊ぶ」ということです。

つまり、芸術的に遊ぶような演奏は暗譜が前提条件なのです。

「遊ぶ」にもいろんな意味がありますが、この「ピアノと遊ぶ会」の「遊ぶ」という意味が「芸術的に遊ぶ」という意味で あることは今さら申し上げるまでもありません。

最後につけたし・・・・・室内楽をやる時に楽譜を譜面台に置いているのは、暗譜していないからじゃないのです。 ピアノカルテットをやっている時にピアノの譜面台に置いている楽譜で見ているのは、相手のパート、ヴァイオリン、 ヴィオラ、チェロのパートです。自分のパートを暗譜しておくことは、室内楽をやる時の最低限のマナーです。






(4)リパッティー(理想的な誠実さ)

演奏家にはいろんなタイプがあって、楽譜に誠実な演奏を第一に考えている人もいれば、自分の強烈な個性を主張すること を第一に考えている人もいます。最近の演奏家には概して、楽譜に忠実な人が多いようですが、これも時代の風潮に過ぎない ことだ、とぼくは思っています。かつての古きよき時代、名技主義の時代、巨匠達・・・・・パハマン、ヨーゼフ=ホフマン、 ヨーゼフ=レヴィーン、バウアー、ザウアー、コルトー、エゴン=ペトリ、プランテ 等々・・・・・の時代のやりたい放題の 個性的な演奏や、それの生き残りとも言うべき、ホロヴィッツやポンティーの演奏を好む人も多いことでしょう。もちろん、 この巨匠達の演奏は実に楽しく即興性に満ちていて、ぼくも大好きなのです。が、やはり、ぼくの一番好きなピアニストは誰を さておいても、ディヌ=リパッティーです。というのも、リパッティーは、こうした巨匠達と、現代の楽譜に忠実な ピアニスト達のちょうど境目の時期を、まさに境目らしく生きたピアニストだからなのです。彼の演奏の結果は、全く楽譜に 誠実なものですが、その誠実さの裏側には、それと同じだけの即興的な練習が潜んでいるのです。つまり、練習の段階で いろいろな遊びをやってみたけれども、結果的にはやはりどうしても楽譜通りにやるのがいいのだ、という結論に達したような、 ギリギリの誠実さが、彼の演奏にはあるのです。ぼくはこういう誠実さこそが一番大事なんじゃないか、と思うのです。

ショパンのワルツ集について、リパッティーとルービンシュタインを聴き比べてみてください。結果的には、どちらも楽譜に 誠実な演奏ですが、ルービンシュタインが練習のし始めから楽譜通りを目指したのに比べて、リパッティーの方は数え切れない 即興から楽譜通りの結果を求めたのだ、ということが如実に感じられます。ルービンシュタインのようなやり方は、 リパッティーに比べて、はるかに無責任で、私はただのピアノ弾きにすぎないんだ、と割り切った演奏、ということができる でしょう。そして、おそらく、音楽の中でも、作曲、演奏、鑑賞という各ジャンルごとの専門化が進んでいる現代においては、 こういうルービンシュタイン風の割り切った演奏をするピアニストが増えているのだろう、と思うのです。しかし、この方向は 絶対に間違っていると、ぼくは思います。確かに、名技主義の巨匠達の、作曲家のことなど一切無視した、やりたい放題の 個性的な演奏には問題もあるでしょう。しかし、その結果ではなく、そこまで自己流の解釈をしてやる、というプロセスはとても 大事なものだ、と思うのです。なぜなら、もともと音楽家というものは、作曲も演奏もやり、そして聴くという面においても、 全て出来なくいはいけないものだからです。その意味で、ルービンシュタインのようなやり方は、「楽譜=音楽」と決めて かかっているわけですから、とても世渡り上手なやり方です。しかし、決して新たなものを創造するアーティストとは言えない と、ぼくは思うのです。演奏は、あくまでも、再創造であるべきです。

リパッティーは白血病のため、若くして亡くなりました。このことを惜しんで、彼がもっと長生きしていれば、いい演奏を たくさん録音できただろうに、というある種の同情めいたものが言及されることが多いようです。しかし、ぼくはその程度 だったとは思いません。もし、彼が長生きしていれば、ピアノ音楽の歴史は全く変わったものになっていただろう、と思います。 それくらい彼は重要な時期を生きたピアニストだった・・・・・つまり、コルトーの弟子として古きよき時代の伝統の中の いいものを後世に伝え、また、同時に、楽譜に誠実な新しい時代の到来にあたっても、決してルービンシュタインのような ただのピアノ弾きではないアーティストとしてのあり方の手本を示すことができただろう、と思うのです。ショパンの 「バルカローレ」、モーツァルトの「イ短調ソナタ」、ラヴェルの「道化師の朝の歌」、バッハの「コラール前奏曲 ・・・・・主よ人の望みの喜びよ」 等、残された数少ない録音は、これらを物語っています。



ヒポクラテスいわく、「芸術は長く、人生は短かし」

でも、「ルービンシュタインは長く、リパッティーは短かし」、

「ベートーヴェンは長く、モーツァルトは短かし」、

「リストは長く、ショパンは短かし」


等々、この世にはぼくをいらだたせることが多すぎます。






(5)マルグリット・ロン

「ピアノ奏法について」という、柄にもなく、仰々しい題名で書き始めたこのシリーズ。あと、室内楽について書きたい こともあったのです。(この「室内楽の演奏について」の章は、当時、既に執筆していて、この連載に続けて「ピアノと遊ぶ会」 会報に掲載しました。このホームページでは、エッセイ24番「室内楽の演奏について」にて掲載していますので、 次をクリックしてご一読下さい。特に、リストの「超絶技巧練習曲」の『鬼火』等の難曲を征服することにしか余念のない、 若手ピアニストの皆様には是非、読んでいただきたいところですし、ご参考になれば嬉しいですので、 どうぞ。 → エッセイ「室内楽の演奏について」 )

が、前回のリパッティーのところでご紹介した、名技主義の時代、巨匠ピアニスト達の演奏に興味を持たれた若いピアニストの 皆様からSP復刻のCDを聴いて、「天地がひっくり返った」等のご感想をいただきました。・・・・・そうですよね、 パハマンの演奏したショパンの『黒鍵のエチュード』を聴いたら、誰だってひっくり返りますよね。ホロヴィッツなんか 吹き飛んでしまうくらい、やりたい放題なのですから・・・・・でも、ピアノの演奏がものすごく楽しいってことが伝わって 来ます。ここが、あの時代のいいところです。コンクール体制が出来る前の時代は、ああだったのです。録音であの状態ですから、 ライブなんかものすごかっただろうと思います。やっぱし、グダグダと中途半端な論評するよりも、こんなアーティストが いたんだよ、って情報を提供し、聴いていただくのが一番だな、と納得しました。

で、今回、とどめの一発、ぼくの一番尊敬するアーティスト、

マルグリット・ロン女史
のことを書いて、おしまいにすることにしました。

マルグリット・ロンといえば、随分長生きをし、長くパリ音楽院の名誉教授として権力の座に君臨した人として有名ですから、 ともすれば誤解を受けることも多いようですが、彼女の場合は、サン=サーンスのように政治力でもって権力を手にした人では なく、実力と自然な自己表現でもってこうした地位についた人だろうと、ぼくは、ほぼ確信しています。その意味では、 フォーレがパリ音楽院の学長になって以来の古きよき伝統の継承者として、最後の人でした。

フォーレがパリ音楽院の学長に就いた頃、この音大には、日本のどこかの音大にもよくあるような、サン=サーンス一派 による金権腐敗がはびこっていたのですが、こうした腐敗しきった教授たちをフォーレは次々と追放し、学内の清粛に努める 一方、それまで、サン=サーンスから「私の目の黒いうちは、このような無政府主義者をパリ音楽院になど立ち入らせない。」 とまで言われていたドビュッシーを教授として迎えるなど、画期的な方針を打ち出し、パリ音楽院はフォーレの学長就任と ともに生き生きとよみがえったようです。フォーレがあの仲の悪かったドビュッシー(最も、この原因はドビュッシーが自ら 作ったものでした・・・・・つまり、ドビュッシーがあの所構わぬ毒舌でもってフォーレをけなしたのが事の始まりでは あったのですが)を教授に招いたというその一件だけで、音楽を純粋に音楽だけで評価する、というフォーレの公平な立場を ぼく達は理解できるのですが、この他にも、国民音楽協会へのドビュッシーのデビュー(つまり、「牧神の午後への前奏曲」 の初演)にあたっても、サン=サーンスの反対をフォーレはフランクと協力して辛抱強く説得し、これを実現させているのです。 おそらく、フランス近代音楽の全盛時代の基盤には、こうしたフォーレの始めたすばらしい伝統が脈々と流れていて、 ラヴェル始めその後の有能な数々のアーティストの出現も全てこの伝統に支えられていたものと言えるでしょう。まさに、 いい音楽のためにはいい環境が必要なのだ、ということを改めて痛感させられる史実ではあります。ともあれ、こうして パリ音楽院の管楽器担当教授に就任したドビュッシーは、弦楽器を担当していたフォーレ等と同様、試験曲を書くことに なるのですが、あの、クラリネットとピアノのために書かれたデュオの最高傑作とも言える「プレミエラプソディー」なども、 「海」を書き始めたこの当時のドビュッシーによって、期末試験のために書かれたものであることは、皆様もよくご存知でしょう。 ただの、試験だけのために、先生のフォーレやドビュッシーが、弦、管、ピアノの傑作を書いてくれるなんて、 当時のパリ音楽院の生徒達は実にうらやましいですよね。今日の音大では考えられません。

ロンはこのうらやましい音大生の一人として、最初はサン=サーンスの、後にフォーレの教室に所属し、ラヴェルとは同級生 であり、そのうえ、カフェーを通してドビュッシーやピカソとも親しいという、想像も出来ないような実に素晴らしい環境で ピアニストとしての音楽活動をスタートしたのですが、レコードはあまり残しておらず、どちらかというと、ライブ志向の ピアニストでした。が、その残された数少ないレコードの中でも、ジャック・ティボーのヴァイオリン、モーリス・ビューの ヴィオラ、ピエール=フルニエのチェロと共に、第二次世界大戦前夜に収録されたフォーレのピアノ四重奏No.2、及び、 フォーレのアンプロンプチューNo.5は、他の誰も追々出来ないような名演であり、彼女がコンサートホールで、どんな 即興的な名演をくり広げていたか想像に難くない、生き生きとした演奏です。彼女にとっては、師のフォーレの作品をやること こそがライフワークだったようです。が、中でも特に、ピアノ四重奏No.2は、1965年の彼女の最後の演奏会でも パスキエ三重奏団とやった曲で、非常に気に入った曲だったようです。この最後の演奏会をマントンでやった時も、90歳 近い彼女は、舞台を彼女の大好きだったバラの花でいっぱいに飾り、芳香いっぱいの夢のようなステージを演出したそうで、 最後までエンターテイナーに徹した彼女の生き様が伝わってくる話です。

ロンは、ピアニストとしてだけでなく、パリ音楽院の指導者として、文筆家として、フランス国民として、多くの功績を 残しています。主なものだけでも下記3つがあります。

(A)ロン・ティボー国際音楽コンクールの創設

(B)ドイツでの、ベートーヴェンのピアノコンチェルト連続演奏会

(C)ドビュッシー、フォーレ、ラヴェルに関する執筆


まず、ロン・ティボー国際音楽コンクールは、その第1回目のピアノ部門の第1位を、ロンが自分の愛弟子のサンソン・ フランソワに与えるために始めたものだったようです。ちょうど時代がアカデミズムに傾きつつあり、ピアニストが世に 出るためにはコンクールの洗礼を受けなくてはならないような時代が始まろうとしていました。これに先立ち、自分の弟子 で大変に才能がありながら、あまりに個性的でコンクール受けしないフランソワを世に出したいというロンの一念でこの コンクールは始められたようで、その証拠に、今だにこのコンクールのピアノ部門の一次予選では、ショパンの葬送ソナタの 終楽章のスケールが必修になっている。これは、フランソワが最も得意としていた曲だからなのですが、この伝統が今だに、 このコンクールに残っているのは、いい意味の伝統として、おもしろいことであります。そして、それゆえに、フランソワが このコンクールの第1回目に第1位になったということは、他のどんなコンクールの第1回目の第1位よりも価値のあること なのです。

次に、ベートーヴェンのピアノコンチェルト連続演奏会は、第二次世界大戦が終わった直後、もう二度と戦争をしてはいけない、 というロンの一念で、彼女がベルリンまで一人で何回か出かけて行って、ついに全部やってしまった、というほとんど信じ 難い恐ろしい企画のことです。周囲は猛反対したそうですが、ロンは自発的に、平和を祈念する使命感に燃えてやったそうで (ぼくだって、ロンの演奏するベートーヴェンなんて聴きたいと思いませんけど)、その正義感とバイタリティーには頭が 下がります。が、結果的には、ロンが個人的に費用を負担してやったこのベートーヴェンの連続演奏会は、ドイツ、フランス 両国の文化面での大きな親善の役割を果たすことになったのです。

そして、演奏活動を終えた晩年、ロンは自分の親しかった三人のアーティスト(ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル)に ついて、実話を交えた三つの大きな執筆を行います。この三部作は、おそらく、彼女の残した最も偉大な功績でしょう。 (うち、ドビュッシーとラヴェルは既に音楽の友社から和訳が出ています。)

裏話満載の面白い内容なので、是非、ご一読をお勧めしますが、ぼくが読んで、一番感動したのは、 「ラヴェル・・・・・回想のピアノ」でした。ラヴェルが「両手のためのピアノ協奏曲」を献呈したのはクラスメイトの ロンでしたし、彼女が初演しているのですが、ロンはその後にラヴェルの書いた「左手のためのピアノ協奏曲」も気に 入っていたのですが、こんなことを書いているのです。



「ラヴェルは、この『左手のためのピアノ協奏曲』を委嘱したピアニストが楽譜の指示を無視して音を省いて弾いたので 怒っていました。私は、この『左手のためのピアノ協奏曲』が大好きで、ピアニストとしてやってきた以上、是非とも 弾きたい曲でした。が、手が小さいので弾けませんでした。でも、私の愛弟子のファブリエが、初めて楽譜通りに正しい 形でボストンでクーセヴィッキーと初演してくれ・・・・・ただし、これは、ラヴェルの死には間に合いませんでしたが、 ・・・・・満足しています。」



音大に行っている若い方にお聞きしたいのですが、皆様の周囲のピアノ科の教授に「私は手が小さいのでこの曲、弾けません でした。」などと書いて、その文献を世界中に向けて出版する勇気のある人、いるでしょうか? たぶん、日本には皆無 でしょう。

ロンのように、自分の「メカニック」の限界まで全てを受容する勇気を持って、その中でベストを尽くすこと!これこそが、 全ての演奏家に必要なことじゃないでしょうか!また、そうでないと、個性は順調に育たないと思うのです。が、昨今の 音楽界においては、コンクール体制が確立されてしまった弊害なのでしょうか。自分の能力を最大限生かせる曲を選ぶよりも、 ただ、難しい、と言われている曲を征服することにのみ、余念のない人が多い。だから、感心する演奏はたまにあっても、 感動する演奏はなくなっていっているみたいです。

現在の演奏家達に、一番、欠落しているのは、勇気!

自分の有能さと無能さの両方を悟る勇気!

周囲の人達の有能さと無能さをも、自分に対するのと同じ敬意を持って見てあげる勇気!


です。

これらの勇気の欠落している音楽家達の間においては、陰口以外の伝達方法がなくなってゆくのでしょうけど、この、 ロンが描いているフランス近代音楽全盛時代のような、芸術の栄えた時期というものは、現在のような、上っ面だけの 平和を保っているだけの世界とはおよそ180度逆の世界でした。ラヴェルなどはそれに輪をかけて、ある演奏家に対する 酷評は直接本人に、絶賛は周囲の人達にささやいたという、大変な人格者だったようです。








1966年、マルグリット・ロンは91歳の生涯を閉じました。が、最後の最後まで、演奏や執筆に若々しいエネルギーを 燃やし尽くした、

アーティストの偉大な生き様を、ぼくは忘れずにいたい!








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