『芸術家と音楽愛好家について』
(1982.5.5.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報』1989年5月号に掲載)
BGM:岡田克彦22歳当時作曲:組曲『みちのくのスケッチ OP.26』(エンドレス)
1983.6.11.『銀座ピアノアートサロン』岡田克彦・自作自演・初演ピアノソロライブ収録
(『片雲の風』〜『青葉山』〜『松島』〜『天麟院』〜『雨のあとで』〜『田園を横切って』)
一般的な概念において、芸術家と音楽愛好家というものは、多分に重なり合っているところもあり、この言葉で区分けするのは
非常に難しいのですが、今回は、「プロ」であるか「アマチュア」であるかという肩書きの問題ではなく、
より本音の問題に迫るため、音楽に向かう姿勢の違いを明確にする意味で、このテーマをとり上げました。
ここでは、ディレッタントなオタクの人達をひとくくりにして、音楽愛好家、と表現し、
芸術家、あるいは芸術家たりたいと思っている人達をひとくくりにして芸術家と表現しています。従いまして、
当会の皆様は、オーディエンスの人たちも含め、全員芸術家である、という大前提に立って、日本のクラシック音楽界の
よくないところを下記5ケース抽出したケーススタディーです。皆様も同じようなご経験があると思います。一日も早く
改善されるといいですね。
ケース1
ピアノを弾いていると、よく声をかけられるのです。
「いいご趣味ですね。」と。そのつど私はいや〜な気分になります。自分にとってのピアノや作曲は、盆栽や、つり、
とは全く異なっているのに、単なる教養、ウサ晴らしのように思われているからであり、また、こんな声をかけるような
教養の香り高いガレキの人達にそこのところを説明してもとても分かってもらえないだろうと思うからです。
「いいご趣味ですね。」って言われて本当に心底喜ぶ人たちは音楽愛好家です。なぜなら、ものを創造する芸術家に
とって重要なことは創造している格好やポーズではなく、創造物そのものだからです。
ケース2
あるレコード鑑賞会で知り合った友人の一人は、自分の人生観について、このように語っていました。
「ぼくの人生は二本のレールのようなもので、一本が仕事で一本が音楽だ。仕事の方は生活のためやむを得ないから続けて
ゆくしかないけど、音楽も絶対やってゆきたい。両方やってゆくのはなかなか大変だけど・・・・・。」
まるで、「勉強とクラブ活動の両立」といった中学生並の幼稚な問題を彼はまじめに悩んでいたのです。二本のレールが
ずっと先まで延びていることに甘んじるなんて私にはとてもできません。私はその時その時が楽しく過ごせれば明日の
ことなんてどうでもよいのです。二本のレールといった考え方は、おそらく既得権に対する執着から来ていると思います。
つまり、過去に自分がやってきたことに頼って、創造的でない毎日を送っているからこういう考えが起こるのです。
従って、すべてのレールは今の自分から始まるんだ、といつも考えていればこんな束縛は解決することです。まあ、
仕事と芸術という別の次元のことを並立させること自体バカげていますが、もっと気の毒なのはレールが、たった二本と
いう視野の狭さであります。大体レコード鑑賞会のような退屈な集まりで満足しているような連中は、
よほどインスピレーションが沸かないか、よほど暇を持て余しているかのどちらかですから、どちらにしても
レコード鑑賞会に、芸術家がいるわけはなくて、全員音楽愛好家ですね。
ケース3
ピアノやっている音楽愛好家の友人は、いつも演奏後、こう聞くのです。
「どうでした? よかったですか? 悪かったですか?」
すごくずるい聞き方です。だって、質問の中に入っている「悪かったですか?」なんて文句は、「悪かった。」って
言われた時でも平気でいられるための言葉の防波堤です。自分の音楽や感性に確固たる自信と信念のないことは、
音楽愛好家の最もよくない特徴の一つです。「自信がないなら聞かなきゃいいダロ!」 と言いたくなります。
このように事態が顕在化している場合であってもなくても、
「自分の音楽はこれだ!」 と思い上がっていない人は、芸術家ではなく音楽愛好家です。
ケース4
「天才とは一生を通じて一つのことに集中出来るということ」・・・・・フリードリヒ・グルダ・・・・・
音楽愛好家の大半はこのグルダの名言がわからないみたいです。その証拠に、音楽愛好家はいろんなものに手を出して
何一つ本物にならない人がよくいるもの。要するに集中が足りないのです。モーツァルトじゃあるまいし、さして
才能の絶対量があるわけないのでしょうから、せめて分散せずに集中しなくちゃ本物にはならないでしょう。
ケース5
クラシック音楽愛好家の一番よくないこと。それは、音楽芸術をあまりに神聖化してしまうことと、作品を耳にする前から
「ベートーヴェンやバッハは高尚で、チャイコフスキーやロッシーニやリストは下劣だ。」と思い込んでいるだけでなく、
他人にもそれを押し付けること。(大体、チャイコフスキー、ロッシーニ、リストについて言及するのなら、彼等の
全作品の楽譜を読んだ後にしてもらいたいのですが、楽譜は読めないから音楽評論家の受け売りなのです。)作曲なんて、
およそ人間のやることなんだから、もっとドロくさくてハレンチなものも含まれているにちがいないのですが、そういった
ものには目を閉じてしまう人が多いようです。ですから、「バッハの『マタイ受難曲』のアルトのアリアほど官能的な音楽は
ないですね。」とか、「モーツァルトの『魔笛』最高だな。」何て議論は彼らには通用しないのです。音楽愛好家はそれほど
音楽が日常的じゃないからブリッ子してられるんでしょうけど、
一番好きなものだからこそ、ブリッ子したくないのが芸術家です。
以上、5ケースで私の言わんとするところは大体おわかりいただけたでしょう。芸術家であるか、あるいは、ありたいと
思っている人達か、音楽愛好家(つまり、ディレッタントなオタク)であるか、いずれであっても、音楽を愛していることに
変わりはありません。でも、私はその愛し方の違いに直面する度、音楽愛好家(つまり、ディレッタントなオタク)を
不愉快に感じてしまいます。
日本で音楽をやっている人達、ことにアマチュアの人達のほとんどが、音楽愛好家(つまり、ディレッタントなオタク)で
あることは、とてもとても残念なことです・・・・・。
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