1991年3月17日に大阪で開催した
『第4回 コンセール・コスモ スペシャルコンサート
〜 イタリア・マクニャーガ国際ピアノコンクール優勝の熊井善之氏を迎えて』
は、大成功に終わりました。ご協力下さった皆様に心から感謝するとともに、正直言ってホッとしているところです。
第一、熊井君がウィーンから、2、3日後に帰国すること、大阪で今回のコンサートをやろうよ、と連絡を下さったのが、
2月1日なのです。2月16日に東京のピアノと遊ぶ会主催でやったものは、彼のソロリサイタルでしたし、小さなサロン
スタイルでしたから、15年の開催実績のある東京では簡単に開催できました。が、大阪の『コンセール・コスモ』での開催
趣旨は、彼のピアノソロをメインに据えた、室内楽も含めたコンサートでした。また、ベーゼンドルファー・インペリアルの
あるホールを使用することになったため、会場のキャパシティーも、600人という規模でした。1年前からの『コンセール・
コスモ』のこれまでの3回のサロンコンサートの開催実績から、出演者も全く面識のない、いわゆる音楽大好きな純粋な聴衆
がキープ出来ており、ぼくの予想では、当日がよほどの悪天候にならない限り、約100人の聴衆は確保できる自信が
ありました。が、600人のホールとなると、最低300人は来ていただかないとコンサートの形になりません。ですから、
チラシ、チケットの印刷終了後、約3週間しかPR期間がなかったことは、大変に心配なことでした。が、結果的には、
演奏会当日は、500人以上の人達が、会場に足を運んで下さいました。
これまでぼくは、15年以上にわたって、いろいろなコンサートをプロデュースして来ました。が、今回の成功でもって、
東京の『ピアノと遊ぶ会』、大阪の『コンセール・コスモ』という、2つのサロンコンサート集団の基盤は、後継者の育成も
含め、確立できましたので、新しいコンサート集団を作るのは、今回の『コンセール・コスモ』を最後にします。そして、
アマチュアプロデュースのこの2つのコンサート集団の最終理想段階と考えている、チャリティ・コンサートへの移行を、
今年から実現させるべく、既に、外務省とコンタクトをとり始めています。
というわけで、今回は、これまでのぼくの演奏会のプロデュースにおける一貫した思想と、それに基づく手法について
具体的に述べるため、『第4回 コンセール・コスモ』のプロデュースで、ぼくが考えたり、実行したり、体験したこと
を書きます。会員の皆様にも、既に演奏家として個別に活動を始めておられる方が多いようですので、ご参考になる点が
あれば幸いです。
まず、熊井君が言って来た、大阪で演奏する曲目は、ブラームスの3番、ショパンの3番のソナタと、ドビュッシーの
エチュード2曲、ぼくとの連弾で「小組曲」でした。そこで、ぼくは、実現可能な他の室内楽も考えて、彼の評判高い、
声楽の伴奏を加えるべきだと思い、相愛大学のソプラノの小西弘子さんを御紹介いたしました。小西さんは、『ピアノと
遊ぶ会』会員のピアニストの杉谷昭子さんのご紹介で、昨年、東大阪のご自宅にスタインウェイを購入された時のピアノ開き
パーティーにお招きいただいて以来、いろいろ親しくさせていただいている、特にイタリアオペラを得意とされる素晴らしい
音楽家で、また、ご主人もタンノイのスピーカーまでお持ちの大変なクラシックファンでした。小西さんは、熊井君の大阪
滞在中の宿泊、練習会場として、スタインウェイのあるご自宅を無料でご提供下さったばかりか、役員をされている、
相愛大学同窓会「沙羅の木会」の後援を取ってくださり、会員の「関西二期会」も含め、2週間で100枚のチケットを
お引き受け下さいました。次に、使用するピアノがベーゼンドルファーだったのですが、ぼくが松山にいた当時の音楽の
友人が「日本ベーゼンドルファー」に勤務していた関係で、コンサートチューニングは完璧にしてもらい、「PTNA」
「ピアノ教育連盟」関係のPR、チケット流通は全てお任せしました。日本アマチュア演奏家協会関西支部では、関西
代表理事の山田氏のご配慮で関西地区在住全会員へのチラシをご送付下さいました。また、関西を代表する弦楽器と
管楽器奏者1名ずつをセットしてもらい、室内楽は、チェロの新美夫妻による、フォーレの「チェロソナタNo.1」、
クラリネットの大縄君とぼくのデュオによる、プーランクの「クラリネットソナタ」とぼくの自作「クラリネットとピアノ
のためのドメスティックなラプソディーOP.61」の2組に決め、これまでの3回の『コンセール・コスモ』参加聴衆から圧倒的に
リクエストの多いバッハの「平均率」をぼくが
演奏することに決めました。また、ソプラノの演奏曲目でオブリガートが必要でしたので、御茶ノ水カザルスホールアマチュア
室内楽オーディションでご一緒した、神戸のヴァイオリンの三宅さんに出演していただくことにしました。チラシによるPRは、
阪急プレイガイド、大阪府立文化センター、各楽器店、楽譜店への展示、マスコミは、いつも同様、四大新聞と、ぴあ、
エルマガを使いました。
1週間前のこの時点で、東京だったら500席位の予想になるのですが、大阪ですから、まだ200席だろう、と感じていて、
最後まで心配でした。が、これらのPRの相乗効果に、熊井君の神戸在住時代の友人の応援が加わり、盛会になりました。
さて、チラシは、その作成段階で時間もありませんでしたので、出展作品の羅列だけになりましたが、この後、当日の
プログラムを構成しました。ここが、プロデューサーとしてのぼくの力量の問われる箇所で、是非皆様に読んでいただきたい
ところです。
当日のプログラムは次のように構成しました。
『第4回コンセール・コスモ・スペシャルコンサート
〜 イタリアマクニャーガ国際ピアノコンクール優勝者
熊井善之氏を迎えて』
ドビュッシー;エチュード集より、
『装飾音のために』『アルペジオのために』
ブラームス;ピアノソナタ.No.3.ヘ短調
Pf.熊井善之
プーランク;クラリネットとピアノのためのソナタ
Cl.大縄登史男 Pf.岡田克彦
日本歌曲より;『ふるさとの』『初恋』
プッチーニ;「マノン・レスコー」より、
『このやわらかなレースの中に』
『ひとり、捨てられて』
「トスカ」より、『歌に生き、愛に生き』
Sop.小西弘子 Vn.三宅琴子 Pf.熊井善之
・・・・・休憩・・・・・
J.S.バッハ;平均率.第一巻.24番
Pf.岡田克彦
岡田克彦;クラリネットとピアノのための
ドメスティックなラプソディーOp.61
Cl.大縄登史男 Pf.岡田克彦
フォーレ;チェロソナタ.No.1.ニ短調
Vc.新美良夫 Pf.新美育子
ショパン;ピアノソナタ.No.3.ロ短調
Pf.熊井善之
ドビュッシー;小組曲
Pf.熊井善之、岡田克彦
アンコール;ショパン.雨だれの前奏曲
Pf.熊井善之
今回は、ホールコンサートでしたので、残響次第で演奏効果の上げられなくなるカルテットなどの大編成の室内楽は出展を
避けました。
プログラム構成の重要ポイントは、下記3点です。
1.まず、楽器別にプログラムを見て下さい。ピアノソロ → クラリネットとピアノのデュオ → ソプラノとピアノ
(一部オブリガート付) → ピアノソロ → クラリネットとピアノのデュオ → チェロとピアノのデュオ →
ピアノソロ → ピアノ連弾、となっています。
ピアノ、弦、管、歌、を網羅し、同じ編成のものが絶対に続かないようになっています。
2.次に、作品の作曲時代別の配列を見て下さい。近代 → 後期ロマン派 → 近代 → 日本 →
古典 → 日本 → 近代 → 後期ロマン派 → 近代、の順。同じ時代の物は絶対に続かないようになっています。
ぼくのこれまでの経験で特に言えることは、初めての聴衆を最も疲れさせるのは、後期ロマン派のピアノソロの大曲が
2曲以上続けて演奏されることで、これだけは極力回避すべきです。
3.最後に、これが、一番重要なことですが、調性を見て下さい。複数の演奏家が出演する演奏会を一つのまとまった構成
にするには、後半のプログラムで、一つのキーになる調性、あるいは音を意識した配列が必須です。
今回はDの音に向けて後半のプログラムが収束してゆくように組みました。このことは、音感の有無にかかわらず、
全ての人に感知可能なもので、意識するとしないにかかわらず、ある一定方向への雰囲気の収束が行なわれ、
演奏会が終わったという感覚を明瞭にするものです。後半の曲目は、ロ短調、イ短調、ニ短調、ロ短調と来て、
連弾の小組曲の終曲のバレエはニ長調となっていて、全てDの音をキーにした原調、同主調、下属調、平行調で終わる曲です。
そして、最後のニ長調の根音のDでもって演奏会が終わるようになっています。
以上の3点のうち、1と2は、一定の経験と顔の広さがあれば誰でも出来ますが、3について整ったプログラムを組める
プロデューサーが日本には、ほとんどいないのが実情です。しかし、ライブという一回性の中においては、最も重要なこと
なのです。
でも、さすがは、熊井君でした。彼は、どんなプログラム順になっているのか全然知らないで、ウィーンから帰って来た
のですが、2日前に大阪に来て、印刷されたプログラムを見て、一発でぼくのからくりを見抜いていました。今回の
コンサートは、もちろん、『イタリア・マクニャーガ・国際ピアノコンクール』で第1位に輝いたばかりで一時帰国した
熊井君が主役でしたので、最後に、アンコールで彼に1曲やってもらったのです。たぶん、日本にずっと住んでいる程度の
ピアニストだったら、ショパンの「木枯し」あたりをやって指が動くところを見せつけるのだろうけど、
何と
ショパンの「雨だれの前奏曲」をアンコールでやってくれました。何故なら、これが、
変ニ長調だからなのです。最も効果的なオプションでした。
楽屋でタキシード脱ぎながら、
「やったね。遠隔調の『雨だれ』は正解だよ。」とぼくが言うと、熊井君、いつもの口調で、
「当然じゃない。後半の約一時間、Dの音を中心に聴いてDの音に集約してる聴衆にはDフラットが一番効果的だよ。
でも、久し振りに一緒にやれたけど、さすが、岡田さんのプログラムだなって、感心しました。後半の調性整備は見事。
だから、ショパンの3番もドビュッシーの小組曲もメチャクチャ楽しく演奏出来ました。ただ、
小組曲のメヌエットは
ちょっとやりすぎたかな???」
・・・・・・・・・・ちょっとやりすぎた程度ではなかったのです。小組曲のメヌエット、熊井君がどんどんアドリブを
入れまくったので、ぼくは吹き出しそうになったのだけど、譜めくりしてくれていた、大阪音大の女の子は、どこを弾いて
いるのかわからなくなりそうになってパニックだったのですから。
でも、こうも言ってました。
「こういう調性、音感第一主義のプログラムの組み方する人、日本にはほとんどいないけど、ヨーロッパでは当たり前
なんですよね。ヨーロッパでは、演奏会は聴衆の人たちと一緒に作るものなんです。演奏者の自己満足が多いでしょう、
日本は。でも、ヨーロッパじゃ、聴衆が、次、何の音を欲しがってるかっていうの感じながら演奏しないとだめなんです。
だから、
演奏が終わってピアノの鍵盤から手を放す瞬間、ブラヴォーが来るかどうか大体
予想出来るんだよ。」
・・・・・という次第で、当会設立以来の中心メンバーの中でも、群を抜いたスーパーヒーローの熊井君は、残念なことに、
日本には帰って来ません。でも、たまには、帰国してどこかで演奏して欲しいですね。
こういう反応してもらえるのなら、ぼくもプロデュースのやりがいがあったな、って思いますから!
最後に、プロでも、アマでも、「演奏会のプロデュース」を行なう人が絶対に忘れてはならないと思う、3点を書いて
おきます。
A.演奏会のプロデュースは、作曲や演奏と並ぶ重要な芸術行為だということ。そして、演奏会は作曲家や演奏家のために
ではなく、聴衆のために開催されるのだということ。
B.Aのことを理解できない演奏家集団は、必ず聴衆に見放されて自然淘汰されること。
C.演奏会の成功、失敗の全ての責任は、作曲家でも演奏家でもなく、プロデューサーにあるということ。従って、
有能なプロデューサーほど、同じ過ちを何回も繰り返さないよう、謙虚に毎回の演奏会の聴衆の反応を受け止めている
はずだということ。
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