有難いことに、ほとんど全ての作曲家はピアノ曲を残してくれています。しかし、ピアニズムにおいて、ショパンを凌駕できる
作曲家は、これまでのところ一人もいなかったようですし、また、この先も、まずいないでしょう。たぶん、ショパンの
ピアノ曲の嫌いなピアニストはこの世に存在しないだろうと思いますが、「ぼくはもうショパンを卒業しました。」なんて
いう言い方ですら、ただの社交辞令か、教養主義を装った、見栄っぱりな言い分にすぎません。なぜなら、そういう言い方は
「ぼくはピアニストを廃業しました。」というのと同じ意味になるほど、ショパンのピアニズムはピアニストにとって不可欠な
ものになっているからです。つまり、ショパンの後に活躍した作曲家でピアニズムにおいてショパンの影響を受けなかった人
など一人もいないからで、「今日において、ショパンの弾けないような人はピアニストとしての存在価値はゼロだ。」と断言
してよいと言えます。今回はこのショパンのピアニズムとは、具体的にどのような要素から成り立っているのか、といった点を
中心に、これまでぼくが実際に演奏したり、ショパンを模倣して作曲したりする立場で体得したものを基に、ショパン全体
について、下記大きく5点に分けてまとめてみました。
(1)即興から得られた完全性
(2)弾きやすさ・・・・・ピアノにおける物理的側面
(3)イデオロギーよりもピアノへの愛情
(4)ショパンが師と仰いだ作曲家・・・・・J.S.バッハとモーツァルト
(5)エピローグ・・・・・ショパンの作曲の原点(20歳前後のこと)と、残された手記からぼくがショパンを大好きで、
ずっと演奏している理由
(1)即興から得られた完全性
まず第一に、ショパンのピアノ曲は一音たりともゆるがせにできない完全なものです。例えば、1オクターブの扱いを
リストの場合と比較できる端的な例として、ショパンのノクターンOP.15-1とリストのハンガリー狂詩曲No.6のフリスカを
弾き比べてみてください。OP.15-1のノクターンにおけるヘ長調のテーマの1オクターブを一音にしてしまうと、
ハーモニーにおいてもメロディーラインにおいても、そして指の感覚においても曲は崩れてしまいます。が、リストの
フリスカの方は1オクターブを一音にしても曲は成立します。ショパンにおいては、1オクターブのユニゾンの中の
一音においてさえ、このようなギリギリの音の使い方がなされていて、ただ音量を増幅するためだけに1オクターブを
使ったリストとは本質的にピアノの扱いが違っていることがわかるでしょう。つまり、リストにとってピアノは、
他の多くの作曲家の場合と同様、自分を表現する道具にすぎなかったのですが、ショパンにとってピアノは体の一部
だったのです。
この、体の一部であったということは、このようなショパンの完全な音楽というものが数えきれない即興のくり返しから
得られたものであることの重要な根拠になるものですが、それゆえに、ショパンの作品は、ただ楽譜通りに弾けることを
目指して練習しても絶対に完成されることのない部分を持っているのです。
つまり、楽譜に記された最後の音に限定するプロセスで、ショパンは何回もピアノに向かって弾いて即興をくり返し
推敲している点を忘れてなりません。いや、頭で覚えているだけではいけない。実際にショパンの曲を仕上げようと
するのなら、その練習のプロセスでは必ず、1オクターブ高く弾いてみたり、アレグロをプレストやアダージオでやって
みたりするなどの即興的な遊びをやらなくちゃいけない、ということです。こうして作曲者ショパンが作曲においてピアノ
でやった行為と同じ行為をくり返すことによって、初めてショパンの曲はその本来の姿を現してくるのです。楽譜に記された
ショパンの指示や音が、いかに必然的なものであるかは、こうやって楽譜通りでないように即興的に遊んでみて初めて体得
でき、自分のものとして演奏できるようになるものなのです。他の作曲家においてももちろん楽譜上の記載の必然性は
あるのです。が、ショパンにおいては、その必然性というものが彼のピアニストとしての遊びのセンスに委ねられているため、
それを演奏するピアニストによってよくもなり悪くもなる、というわけなのです。
具体的に言いましょう。ルービンシュタインのショパン全集。あれはノクターンの一部を除いてほとんどダメです。
(これは好き嫌いの問題ではなく、ピアニスト、音楽家の存在に関する考え方において、ルービンシュタインが全く
ショパンとかけ離れている、ということです。)もし、お手元にショパンのワルツ集について、ルービンシュタインと
ディヌ=リバッティーの両方のCDがあるならば聴き比べてみて下さい。この結果の誠実さの源泉が全く異なっている
ことは「ピアノ奏法について」というエッセイ(このホームページ13番に掲載)の中で既に述べましたが、このことが、
もし、あなたにおいて伝わらないようなら、ショパンの演奏はちょっとムリですね。やめた方がいいと思います。
(2)弾きやすさ・・・・・ピアノにおける物理的側面
ショパンほど自分で演奏していて作曲者との密着を感じる曲はありません。ある時など、ショパンを弾いていると、そこに
ショパンが立って指導してくれているような気になることがあります。
それは、本当に、ピアノとピアニストへの思いやりの感じられるパッセージが多いからです。例えば、ソナタやバラード
において同じテーマが異なった調性で再現する時、その調性によっては、同じ部分の一つの装飾音が、黒鍵と白鍵の位
置関係によってひどく弾きにくくなることがある。このような細かな部分においても必ず、ショパンは見事な即興性
を発揮して、ちっとも弾きにくくなく、そして決して演奏効果が失われないような変奏をしてくれています。
それから、ショパンの曲は音楽的に調性の必然性のあるものですが、その調性が同時に、ピアノの鍵盤の位置関係といった
物理的側面においても必然的なものになっていることは、実にすばらしいことです。例えば、あの幻想即興曲を、
シャープ4つの嬰ハ短調からシャープなしのイ短調に移調すると、黒鍵と白鍵の位置関係のために、演奏不可能な曲に
なってしまうことは、そのよい一例と言えます。
こうした弾きやすさは、ともかく、ピアノの効果が失われないように、とのショパンの音楽的配慮とピアノへの愛情に
よるものです。下手な人でも弾けるように、なんてものじゃないことを、世のピアニスト達は胆に銘ずるべきでしょう。
ほんとに、この弾きやすさは、ショパンの悲劇であります。大して練習しないでもいいから適当に誰でもショパンを弾いて
しまい、ショパンが下らない音楽にされてしまっている。ほとんどナルシシズムだけの、公害に近い、ショパンの演奏が
いかに多いことか、考えてみて下さい。
(3)イデオロギーよりもピアノへの愛情
大体、ピアノの弾けない音楽評論家の書いたショパンに関する論評ほど下らないものはありません。なぜなら、
ショパンはクラシック史上の他の作曲家とは全然異なり、イデオロギーよりもピアノへの愛情だけで曲を書いているからです。
まあそれでも、何とか、音楽史上の位置づけをデッチあげて説明したい音楽評論家達は、後期ロマン派だの、民族主義など
をあげつらって何とかショパンを説明しようとしています。また、具体的には、ショパンの中期以降の作品に形式感のある
大曲が多くなったのは画家のドラクロワとの交友関係から来ているものだとか、ノクターンの分散和音の音域の広さを、
ジョン・フィールドの影響によるものだとか・・・・・、もちろんこれらの各論には正しいものもありますが、ショパンを
理解するにあたっては、どれも決め手にはならない。ショパンにおいて、全ての判断の決め手になるものはピアノだけ
でした。これは、つまり、例えば、中期以降に大曲を書いた時、ショパンはドラクロワの影響できちんとした形式感のある
ものを書きたいと思ったのかも知れませんが、実際に作曲した時、まず、彼は、そうした自分の希望よりもピアノに相談
した結果の方を優先しただろう、ということです。このことは、彼の作品全てについていえます。従って、30分以上演奏時間
のかかるソナタも、ほんの2、3分でおわるマズルカも、ピアノとそれを弾くピアニストにとって必要十分な長さである点に
ついては何ら変わらないのです。ピアノの弾けない音楽評論家によるショパンの解説がナンセンスで下らない理由はここに
あります。ですから、ショパンについて語りたいのなら、バイエルからでも、メトドローズからでもいいから、ともかく、
ピアノを弾くことを体験しなくちゃいけない、とぼくは思います。
(4)ショパンが師と仰いだ作曲家・・・・・J.S.バッハとモーツァルト
ショパンは、次のような論評を書いています。
バッハは決して古くはならない。バッハの作品は、理想的に考えられた幾何学の図形のように組立てられ、その中では、
あらゆるものが正しい位置を占めて、たった一行の過剰な線もない。バッハは私に天文学者のことを思わせる。ある人は
バッハの中に複雑な音型以外の何ものも見ることができないが、バッハを感じ、これを理解することの出来る人々に、
バッハは、彼の巨大な望遠鏡に連れてゆき、彼の傑作である星を嘆賞させる。それ故、バッハから背を向けた時代は、
その軽薄さと愚かさと、そして又、堕落した趣味を証明するものである。・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・
また、臨終の床で、ショパンは、友人ポトッカに、モーツァルトと比較して、自分の作曲活動の辛さを、次のように語って
います。
モーツァルト。あの短い生涯がなんと多くの仕事と創造的天分をもっていたか考えてご覧なさい。私が最後に聴きたい音楽は、
自分のではなく、もっと純粋なものを、モーツァルトのものを。・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・
ショパンが師と仰いだのは、これらの引用から明白ですが、バッハとモーツァルトでした。ドイツ後期ロマン派など眼中
にはありませんでした。特に、シューマンに絶賛されることはショパンにとっては大変に迷惑だったようです。また、
リストについても、ショパンがパリのサロンでデビューした当初から、既に勝負はついていました。さらに、
メンデルスゾーンに至っては、次のように、暖かく酷評しています。
私は将来メンデルスゾーンがいかに酷評されるかを見るために生きていたいとは思わない。彼のおびただしい作品のうち、
残るのはおそらく5、6曲だろう。・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・
アーティストは創造する前に、「すべての人は平等だけど、同一ではない」という、他との同一性を否定する原点に立たな
くてはならない、ということを「ピアノ奏法に
ついて」というエッセイ に書いていますが、これらのショパンの論評は、全くこの点の証です。
ついでながら、ドビュッシーも、当時、全く眼中になく、相手にもしていなかったサン=サーンスについて、同様の酷評、
あるいは、皮肉を言っています。
サン=サーンスはどんなやり方でも作曲のできる人だ。ベートーヴェン風にだって、リスト風にだって、
・・・・・希望とあらば、ベルディー風にだってできる。・・・・・クロード・ドビュッシー・・・・・
そして、この2人の天才の残した予言が今日において的中していることは、皆様ご高尚の通りです。
このように、ショパンは、ピアノでもって、時代を超越したのです。
(5)エピローグ・・・・・ショパンの作曲の原点(20歳前後のこと)と、残された手記からぼくがショパンを大好きで、ずっと演奏している理由
皆様ご存知のとおり、ショパンの創作の山場は、下記3つの時期です。
(A)20歳前後、(B)32歳前後、(C)37歳前後
が、彼のオリジナルな作風の原点確立は、間違いなく、20歳前後、OP.10のエチュード集、2つのピアノコンチェルト、
バラード1番の草稿、OP.15のノクターンを書いていた時期です。その頃、彼がワルシャワを脱出してパリに向かう途中で
立ち寄ったウィーンで、プラター公園を散歩した時、残している素晴らしく感受性に満ちた、ぼくの大好きな短編が
ありますので、ご紹介します。
今日のプラター公園は何ときれいだったろう。沢山の人が、私には何の関心もはらわずにそぞろ歩きをしている。
私は緑の樹々をながめ、春の香りをいつくしむ。この邪念のない自然は、幼い頃の気持を呼びもどさせるようだ。
嵐が近づく気配で家にもどる。嵐は来なかったが、心には悲しみが満ちている。今日は音楽でさえも私をなぐさめてくれない。
もう夜がふけたが眠りたくない。
何かがまちがっている!
しかし、私の二十代はもうはじまっているのだ!
・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・1831年、ウィーンにて、「ショパンの手記」より
ぼくは、いつもこの時のショパンのことを考えながら、作曲について、彼には遠く及ばないけれども、座右の銘にして、
作曲やピアノ演奏の励みにして来ました。
そして、いつも、この手記を書いた時、ショパンはいったい、何を見つめていたんだろう? と考えるのです。
・・・・・ぼくは、たぶん、おそらく、ワルシャワ時代の楽しかった頃のなつかしい思い出と、それから、この先の自分
の行く末・・・・・つまり、あの世までの道程・・・・・への不安と、の両方を見つめていたのじゃないか、と思う。
世の中せちがらくなってきていて、ともすれば、日々の雑事に追われて、あまりにも自分の感受性が世俗に染まってしまった
ような時、ピアノに向かって、一人燃えてショパンの諸作品を弾くこと。・・・・。悪くないと思う。
はるかな年月を経て、ショパンが今、ぼくの指の押さえている鍵盤のすぐ下にいるんじゃないか、と思う時、本当に
ショパンに出会えてよかったな、と思う。こういう経験を一度でも味わったことのある人なら、一生ショパンから
離れることは出来ないでしょう。そして、それゆえ、ショパンの曲は、どんな優れたピアニストの演奏で聴くよりも、
自分で弾いてみるべきものなのです。
ショパンの曲は、大脳皮質ではなく、耳と指で味わうものです。
どんなに知識が豊富になっても、この、素直で謙虚な気持を忘れてはいけないだろう。
これからも、ずっとショパンの作品を弾いてゆきたい!!
Copyright (c)
2001-2009 Katsuhiko
OkadaAll rights reserved
エッセイコーナー冒頭へ
総合入口へ
入口へ