『アマチュアとして』
(1990.5.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報』1990年6月号に掲載)
BGM;フォーレ作曲;「フルートとピアノのためのファンタジー」(エンドレス)
(フルート;星名孝行、ピアノ;岡田克彦)
〔1985.6.23. 日本アマチュア演奏家協会(APA)埼玉例会・サマーコンサートライブ収録 〕
アマチュアとして音楽を続けていて何が一番楽しいかというと、少なくとも自分の一番好きな音楽については、どんな権威にも
こびを売らずにやりたい放題出来るということ。このことは、音楽が好きでもない人にとってはどうでもいいことなんだろう
けど、音楽の好きな人達にとっては、命の次に考えなくちゃならないことのように思う。この世界には、常識とか慣習の
ようなものが満ちあふれていますが、芸術上のモラルとか追求してゆきたい美というものが、そうした常識や慣習と相入れない
ことはままあることで、そういった常識や慣習と芸術の間のジレンマを完全にクリアして生きてゆくにはアマチュアという
生き方が最も合理的だと言うことが出来る。
自分と音楽のことを考えてみると、たぶん高校の頃から、無意識のうちに「最後の砦」に近い状態で付き合ってきた。
「最後の砦」なんて言うとものすごく大袈裟だから、切実さとか、ハングリーさとかいった言葉に置換えてもらっても
いいと思う。
この会報上でも、既に、「プロ」と「アマチュア」の違いについての議論は尽くされ、その当然の結論も出ているようだ。
つまり、「プロ」とか「アマチュア」といった肩書きに関する用語が極めて世俗的な下界の分類用語であって、芸術に
とって全く意味のない言葉であること(もちろん「音楽大学卒業生」=「プロ」で、その他が「アマチュア」なんて
解釈は、個人レッスンが日常化する以前の大昔の解釈だから議論の対象にすらならなかったけれども)、そんなこと
よりも、その人が日々新たな創造を期して活動しているアーティストなのか、あるいは、演奏や作曲の依頼があれば、
(それがお金儲けになるかどうかとは関係なく)自分のキャパシティーや個性を無視して、さほど内容のない演奏や作曲を
やってしまえる、いわゆる「作曲屋」とか「演奏屋」と呼ばれる、才能の無駄遣いを才能の発露だと勘違いしている人達に
過ぎないのかといった、本質に関する分類の方がはるかに重要なことだということ。この本質に関する分類は、
先に述べた、切実さやハングリーさの度合いの程度の差に基づくものであり、また、こうした切実さやハングリーさが、
孤独によって裏付けされたものでないと本物にはなり得ない。以上のことは、「ピアノと遊ぶ会」「コンセール・コスモ」
などを中心にした音楽サロンでは既に常識になっていることだ。そして、もちろんのこと、「プロ」になって音楽に自分の
生活を賭けている人達の方に、やっぱり、切実さやハングリーさにおいて勝った人が多いことも自明のことである。
(もちろんここで言っている「プロ」とは、J.S.バッハやアルゲリッチクラスの人達のことである。)
が、去る、5月13日に大阪で開催した「第3回コンセール・コスモ」に東京から登場した、当会会員のアマチュアピアニスト
の金子一朗さんの弾かれたショパンの「24の前奏曲(全曲)」について、当日会場にいた200人を超える関西のほとんど
の聴衆から、「この人はいったい『アマチュア』なんでしょうか?」「『アマチュア』っていったいどういう概念の言葉
なのかしら?」という、疑問と驚嘆によるカルチャーショックに陥った、という内容のアンケートの反応があった。
もちろん、ラヴェルのスカルボを見事に、且、簡単に演奏出来る、日本のアマチュアピアノ界でも稀少な存在の、
金子さんの演奏が東京の場合と同様、関西でも、かなりなインパクトを引き起こすだろうことはあらかじめ予想された
ことだった。が、しかし、当日の彼のショパンはこれまでぼくが聴かせていただいた彼の演奏するショパンの中でも、
完成度、安定性、和声的アナリーゼ、成熟度等々、全てにおいて、ズバ抜けて最高の出来だったから、
よけいインパクトは強かったようだ。24番の終結のDの音が響き終わった瞬間、会場の「梅田山西福祉記念会館サロン」
は、万雷の拍手に包まれて、その拍手の量と質は、プログラム前半のラストでプロコフィエフの「戦争ソナタ」
を弾いた、やはり、東京から演奏に来てくれた、当会会員の、桐朋音大室内楽研究院の須江太郎さんの演奏後をはるかに
上回っていた。
で、今回の「第3回コンセール・コスモ」の企画を終わっていろんなことを感じ、これまでぼくの企画した
「ピアノと遊ぶ会」「ラヴィーヌ楽派」「マ・ノン・トロッポの会」「コンセール・コスモ」(その他にも小さな
ものはいくつかあったけれども)のことを思い起こすとき、こうした活動を通して出会った、のべ1000人を
超える数多くのアマチュア音楽家達のこと、そして、彼等をとりまいていたいろいろな社会的な状況から、
音楽から去ってゆかざるを得なかった人達のことが(そういう人達の中には、ぼく自身の作曲や演奏に決定的な
影響を及ぼした人達が多くいて、彼等に育ててもらったようなものだと思っているから余計)まっ先に頭に浮かんでしまう。
そして、ぼくだけが、長く一緒に音楽活動を続けて来られた一部の人達と一緒に音楽の世界にとり残されてしまったような
ウェットな気分になってしまう。
最近、20歳前後のアマチュアの仲間も増えたことだし、今回はぼくのこれまでのアマチュアとしての音楽活動から感じた
いろんなことを書いてみようと思った。
ぼくは以前から、よくマスコミで取り沙汰される、人の個性をないがしろにする「世代論」というものは信じていない。
(たぶんこういうものに基づくならば、ぼくは『新人類』の初めの頃になるんだと思う。)が、10年前なんかと
今では、アマチュア音楽家を取り巻く環境には大きな変化があって同日の談ではない。それに第一、ぼく自身が
ハイティーンから20代前半の頃、30代や40代の年上の人達から10年や20年そこそこ長く生きているだけで(その生き方
の密度については一切触れられないで)何やかやと訳のわかったようなことを言われることが大嫌いだったし、今だに、
お坊さんの説教や演歌の歌詞や政治家の演説には、同質の『うさん臭さ』と『偽善性』を感じてしまう。
ベートーヴェンの後期のピアノソナタ群のような作品が、作品として優れていることは認められても、ついに、あんな曲を
書いてみたいなんて気持ちになったことがないのも同じ理由によるんだろう。それに、今、これを読んで下さっている
アマチュア音楽家の人達の、いったい何割が生涯に渡って音楽と付き合ってゆくのかもわからない。だから、
今から書くことをポジティブな意味でとらえてもらっても、ネガティブな意味でとらえてもらっても構わない。
アマチュアで仕事を持ちながら音楽を続けて行くにあたって認識しておいた方がいいとぼくが思ったことを、
アットランダムに羅列しようと思う。
1.一番大切なことは、この世で出会う全ての事象に対して、まず、他人のお仕着せではなく、
自分のオリジナルな感性でもって、「謙虚に」対応すること。
2.1に関連することだが、能力には「経験」に基づくものと「才能」に基づくものの2種類がある。
「経験」に基づくものは、物理的な年月をかけてやれば自然に身につく、凡人の領域にある能力。演奏で言えば
『メカニック』『安定性』『初見能力』などはこの領域にあるから、このようなものの獲得のみで満足している
人は音楽的には永久に本物にはなれない。1で言う「謙虚さ」は、2つめの能力であるところの「才能」
に基づく『音楽性』や『感受性』なんかの方に磨きをかけるために不可欠なものである。例えば、数ページの
小さな曲を演奏する時でも、初めて音楽に出会った時の深い驚きに満ちた感動を忘れずに、和声とポリフォニーを
スコアから十分に解析し、一つ一つの音、モチーフ、フレーズにこだわることと、実際に演奏する時の会場の残響や
客層等を考えたいろいろな奏法を考えて何パターンもの演奏スタイルの練習をすることが苦にならないような奏者が
「才能」のある奏者であり、これが本物の演奏家の練習の仕方である。アマチュア演奏家の場合、特に物理的な時間の
制約があるから、ここが出来ないとお話にならない。この点については、右脳の訓練が必要である。
3.音楽は聴衆に伝わって初めて意味がある。「経験」の領域ではこのことを常に考えておかなくてはいけない。
コミュニケーションには誠実さ以外の要素も必要で、チェーホフも言っているように、誠実さは誰でも手に
入れられるが、それ以外の要素の付加には若干の頭脳の使用、それも、この点については左脳の訓練が必要である。
(もちろんここで言う誠実さ以外の要素は自然な形で表出されたもののことを言っている。)また、だからこそ、
演奏は密室や社会の片隅でこっそりやるものではなく、極力、ライブの体験が重要である。特に室内楽の場合、
メンバー同士で聴き合うだけの自己満足に陥るケースが多いので、注意が必要。「私にはピアノが1台あれば十分です」
というピアニスト。「ぼくには、弦楽器4人のカルテットメンバーさえいれば十分だ」という弦楽器奏者。
彼等は楽器愛好家に過ぎない。単に楽器の音を出すのは演奏ではない。太宰治はこういう人達のことを
「芸術家ではなく芸術品だ」と言っているが、言い得て妙。
4.以上、2と3で、右脳と左脳の訓練について触れたが、これらの左右の脳の活用手順は本物の演奏や作曲には一番
大切なことである。丸谷才一は『文章読本』の中で次のように書いている。「ある種の学者たちのように、せっせと名文と
つきあっても、書く文章がいっこうに冴えないのは、文章の伝統から学び取る態度が間違っているためなのである。」
これは、『作曲読本』『演奏読本』と読みかえても成り立つことだ。例えば、他人の演奏を参考にする場合でも、単に
物真似のパターンを増やすような左脳的なアプローチではなく、いったん右脳を使ってそれを自分自身の感性という
フィルターに「謙虚に」投影しないといけない。左脳を使うのは、それを載せるステージでのオーディエンスとの接点
を考える時である。
5.ペシミスティックな発想は極力捨てて、オプティミストになること。優れたアーティストはほとんどオプティミスト
だが、才能を100%発揮させることが出来る。また、視野が広がり必ずいい結果になる。
6.「先週から風邪をひいていましたので練習が不十分で」なんて演奏前の言い訳は、聴衆には何の関係もないこと。
「じゃあ、風邪をひいてなかったら上手いんですか。」と質問したくなってしまう。個性で勝負するアーティストの
前提条件として、実力不相応のプライドと選曲は禁物。自分の好きな曲と、自分が演奏して効果の上げられる曲は
きちんと区別してレパートリーを考えなくてはならない。
7.どうしても時間の足りない時には、睡眠時間を減らすしかないだろう、(健康を害さないように)
8.最後に、本物のアーティストは大体、自分を切実でハングリーな状況に追い込んでいるが、アマチュアの場合、
この点、どこまでこだわるかは人それぞれだろうから、こういうものの表出されたいろいろなアーティスト達の参考に
なりそうなコメントを引用しておきたい。
・まず、石川啄木の歌
かの旅の夜汽車の窓に思いたる
わがゆくすえのかなしかりしかな
・次に、浜田省吾の歌詞から
カーテンコール ステージライト ざわめき 今でも火照る体
ギター抱えて 夜汽車に揺られ 次の駅までただ眠るだけさ
どこへ行くのか 何をしてるのか 時々わからなくなるよ
飛び去ってゆくレールの上で 時は過ぎてく瞬く間に
描いた夢とかなった夢が まるで違うのにやり直せもしない
もう帰ろう みんな投げ捨てて でもどこへ いったいどこへ
Midnight Blue Train 連れ去って どこへでも行く 思いのまま
走り続けることだけが生きることだと 迷わずに答えて (浜田省吾『Midnight Blue Train』より)
・そして、リルケの手紙から
すべての印象、すべての感情の萌芽は、全く自己自身の内部で、幽暗の境で、名状しがたいところで、
安全に発育させるようにし、深い謙虚さと忍耐とを持ってあらたな明澄さの生れ出るのを待ち受ける、これのみが
芸術家の生活と呼ばれるべきものです。理解においても創造にいても。そこで時間で量るということは成り立ちません。
年月は何の意味をももちません。(リルケ『若き詩人への手紙』より)
・最後に、ショパンの手記から
今日のプラター公園は何ときれいだったろう。沢山の人が、私には何の関心もはらわずにそぞろ歩きをしている。
私は緑の樹々をながめ、春の香りをいつくしむ。この邪念のない自然は、幼い頃の気持ちを呼びもどさせるようだ。
嵐が近づく気配で家にもどる。嵐は来なかったが、心には悲しみが満ちている。今日は音楽でさえも私をなぐさめてくれない。
もう夜がふけたが眠りたくない。
何かがまちがっている。しかし、私の二十代はもうはじまっているのだ。(ショパン『ノート』より)
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