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『J.S.バッハ「ゴールトベルク変奏曲」』
グレン・グールドのピアノを聴いて


BGM(エンドレス);J.S.バッハ「ゴールトベルク変奏曲・30番クォドベリ」
(リンク先、うっちい氏制作MIDI)


岡田克彦


(1979.11.01.上記レコードを初めて聴いた夜に、日記に執筆)



グレン・グールド収録のレコードで初めて聴いたこの作品。

まず、この第25変奏・・・・・なんという曲だろう。この転調は全く信じられないほどのものである。ぼくの価値観が 入れ替わってしまう。J.S.バッハの人間とは思えない才能におそろしくなった。J.S.バッハは1742年、ハープシコードと 向かっていたのである。その空間だけで、フォーレの先の先まで超えてしまったのである。これは、感覚的にとらえた だけだから、間違っているのだろうか? でも、ラルフ・カークパトリックがこの曲について書いていることは、感覚的に 捉えられるべき、ということじゃないんだろうか。

ぼくは、もう、スピーカーの前から離れられなくなってしまった。そして、最後に、最初のアリアが再現する至福の時。 ヴァリエーションだから、再現するのは当たり前なんだけど、再現の必然性と有難さで、ぼくは涙が止まらなかった。

こんなすごい変奏曲は聴いたことがない。この前、バーバーの「バッハヴァリエーション」をピアノで弾いたけど、 あれはどーしようもない。第一、J.S.バッハのテーマが一番美しいじゃないか。変奏する必要性なんて全くない。

他にも、ぼくの知らない変奏曲の傑作があるのかもしれないけど、今日の日をぼくは生涯忘れないだろう。この作品を残して くれたJ.S.バッハと、それを見事にピアノで再現してくれたグレン・グールド・・・・・全ての状況に感謝したい気持ちで 一杯だ。

ショパンは、J.S.バッハについて、次のように書いている。ぼくは、当初どうしてショパンがJ.S.バッハを一番尊敬して いたのか、理解できなかったが、今日、ショパンの気持ちが痛いほどわかった。一生かかっても、ショパンはJ.S.バッハを 凌駕できないことを知っていたんだ。

「バッハは決して古くはならない。バッハの作品は、理想的に考えられた幾何学の図形のように組立てられ、その中では、 あらゆるものが正しい位置を占めて、たった一行の過剰な線もない。バッハは私に天文学者のことを思わせる。ある人は バッハの中に複雑な音型以外の何ものも見ることができないが、バッハを感じ、これを理解することの出来る人々に、 バッハは、彼の巨大な望遠鏡に連れてゆき、彼の傑作である星を嘆賞させる。それ故、バッハから背を向けた時代は、 その軽薄さと愚かさと、そして又、堕落した趣味を証明するもので ある。」・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・

ぼくも、もっともっと、J.S.バッハを勉強しなくちゃならない。






この掲載エッセイは、ぼくがまだ若かった頃、東京で聴いたいろんな演奏会やレコードの感想を日記帳に書きとめていた頃の ものです。「ピアノと遊ぶ会」会報掲載のエッセイを中心に、これまで、いろいろ載せて来ましたが、今回、うっちいの 音楽箱の主催者のうっちい氏という若い作曲家と出会い、彼から、いろんな純粋な意見を聞いて、ぼくも、自分の音楽活動の 原点になった20歳代の感性を大切にしないといけないことを痛感し、掲載しました。短編が多いですが、この当時のエッセイ をこれから順次掲載してゆきたいと思っています。BGMに添付させていただいた、うっちい氏制作のMIDIのクォドベリ の最後のリタルダンドは、ぼく自身がこの作品を演奏する時にかけるものとほとんど同じだったので非常に感動してメールを 送ったことからメールやりとりのお付き合いが始まりました。こういう音楽的な出会い方って、やっぱ、一番いいですね。








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