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『アーティストとして』



ピアノと遊ぶ会会長 岡田克彦


(1989.2.執筆『ピアノと遊ぶ会会報』1989年3月号に掲載)


BGM;イザイ『子供の夢』(エンドレス)
(ヴァイオリン;竹内恵梨子、ピアノ;岡田克彦)
〔 1985.6.23. 「日本アマチュア演奏家協会(APA)埼玉例会」サマーコンサート・ライブ収録 〕



この世のピアニストを見ていると、大きく2種類に分類できるように思います。 すなわち、日々新たな創造を行なっている素晴らしいアーティスト達と、ただ指が動いているだけの、所謂、「ピアノ弾き」と 呼ばれる下らない輩、であります。今回は、アーティストとして、あるいはアーティストたりたい、と思って活動してきた過程で 、いつもぼくを悩ませるところの創造活動自体が持つ矛盾、不合理性について書いてみたいと思います。

まず、ぼくの場合、作曲のプロセスで一番充実している時は、思いついたモチーフを組み立てて新しい響きや対位を想像し、体験 している最初の段階であります。(もちろん、その段階でモチーフのあまりのつまらなさに全ての着想を捨ててしまうこともあり ますが・・・・・)。全体の構成を考える(つまり出来上がりの予想が頭の片隅に育ち始める)ころになると(もちろん、構成 においても前作に比べればなんらかの新しい試みはやっていますから、その時点ではその部分への意識の集中によって創作活動 が中断することはないのですが、後で思い出すと)、少なくとも新しい響きや対位を発見して驚きながらそれを有機的にしようと 努力している当初の段階に比べると、経験、あるいはそれから派生してくる技法のようなもので処理している部分が多くなって しまい、作曲行為そのものが、曲の出来上がりが近づくことに対する喜びが増えるのと同じだけ、色あせてしまったように思える のです。以前は、ベートーヴェンとかブラームスなんかは、この後半の部分・・・・・つまり、経験を派生させる能力・・・・・ が非常に優れた作曲家なので、ぼくとは逆の現象が起こり、忍耐強く何年もかかって曲を完成させていたのだろうか、なんて思って いたのですが、やっぱり彼らも嫌だったのでしょうね。皆様もピアノソナタなんか作曲してみればわかりますよ。こんな退屈で つまらないプロセスは他にはありませんよ。ですから、モチーフや旋律の魅力だけで、のびのびと曲を書けていたドボルザーク のことをブラームスが心底うらやましく思っていた、という気持ちはよくわかるのです。ぼく自身もそうなんです。

当初の新しい響きや対位を発見した段階で、既に新しい世界を自分一人で体験してしまっているわけで、何のために努力して それをそれを曲という形に構築しなくちゃならないのだろう、という素朴な疑問は一生払拭出来ないように思うのです。「それを 演奏してくれる演奏者やそれを聴いてくれる聴衆のためなんだ」という答えが正解だという事はわかっているのですが。




エッセイを書くのだって同じです。それぞれのエッセイはいくつかの中核をなす思想に基づいて書いているわけですが、それを 言葉にするという行為そのものが、自分の考え方の深化や広がりに歯止めをし、そうした可能性を摘みとってしまっていたことに 後で気づくことがあります。もちろん、ストレスの解消や自己満足や自己顕示欲の充足には役立つものですが、自分個人の考え方の 進歩には何の役にも立たないものです。文章という明確な形の状態ではなく、頭の中だけで思想や考えを保つ事は不可能ではない はず。それでも、どうして文章を書いたりしているのかというと、これも正しい答えはわかっていて、「それを読んでくれる読者 のため」なのです。




作曲が音楽の創造なら、演奏は音楽の再創造です。

従って(ぼく自身も含めて)ピアニストの皆様に質問したいことがあるのです。

あなた方は、どうして、人前で一人ピアノに向かって演奏をしているのですか? 少なくともぼくは全然、その理由が わからない。

音楽によく親しんでいる人達ばかりの小さなサロンやホームコンサートならともかく、事もあろうに、聴衆の8割は、 その日のプログラムの中にある、例えば、ショパンの「バラードの1番」なんか、一回も聴いたことのないような人達である ような、大ホールでのピアノソロコンサートなんかの場合のことです。もちろん、こうした不特定多数の人達の集まる大ホール でのコンサートの場合、初心者の聴衆をも納得させうるようなわかりやすい演奏を提供しないといけないことは自明のことと して、演奏するあなた個人は、わかりやすい作品をわかりやすく演奏するという、処世術以外の、個人の一アーティストとして の内的な深みを増すような進歩はあるのでしょうか? そして、コンサートからあがる収益やお金等の世俗的要素を度外視する ならば、大ホールでの大むこうの喝采をねらった演奏活動って、ソロであれ室内楽であれ、演奏者個人の中にある芸術性にとって、 何て空しい行為だろうと思うのです。音楽を聴衆に伝えることが演奏家の第一の使命だなんてあたり前なんだけど・・・・・。





「ピアノと遊ぶ会」会員のピアニストの皆様には、これからソロピアニストとして デビューする予定の人達も多いことでしょう。それに水を差しているのではありません。そればかりか、アマチュアとして、 音楽以外のことを仕事にしている「ピアノと遊ぶ会」の会員は全員、(会長のぼくも含めて)チケットの販売において絶対に 協力するつもりだし、会則にはこの件を加えても良いと思っています。ただ、優れたアーティストとして演奏活動を行なっていく なら、何歳になっても、何十年活動を続けようとも、これで到達した、ということはあり得ないということ・・・・・、なぜなら、 アーティストとしての創造活動そのものが、以上述べたように個人的な領域と大衆的な領域において矛盾をはらんでいて、その ことを悩み続けなくてはならない覚悟が必要だからです。

この「ピアノと遊ぶ会」をぼくが作った大学3年生の時の会の名称は「ショパン愛好会」でした。この名称に集約された最大の 目的の一つは、ショパンが生きていた時代、芸術が大衆的でなかった時代への懐古、そして、ショパンの活動の本拠地が大ホール ではなく「サロン」であったこと、その「サロン」を現代に復活させたい、ということでした。現在の「ピアノと遊ぶ会」の 敷居の高さという、非大衆的な指向も、結成当時からのメンバーによって作り出されている当会の雰囲気です。それだけに、 「ピアノと遊ぶ会」に関与した全てのピアニストの人達に、「ピアノ弾き」にだけは堕落して欲しくない、という切実な希望を 会長のぼくは持っています。




最近の「ピアノと遊ぶ会」幹事会においては、年に一回だけの正式な認可による「チャリティコンサート」の開催という話も チラホラ出ています。アマチュアプロデュースの当会としては、一つの最終理想形態です。既に「ピアノと遊ぶ会」メンバーだけで 500人程度の聴衆を集めることは十分可能です。が、このような大規模なコンサートの開催にあたっては、主催は「ピアノと遊ぶ会」 でトップに掲載すること、そして、現在、ぼくが理事をしている「日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)」を共催にして 「ピアノと遊ぶ会」の下に掲載することの根回しは既に始めています。全て、「ピアノと遊ぶ会」の設立以来の非大衆的な歴史を 大切にしたいからなのです。将来のことはわかりません。当会が大規模なホールコンサートを行なうことは、下界と接点を持ち、 交渉しなくてはなりません。当会会員の「アーティスト」の皆様に、下界との煩わしい接点や手続きをしなくてよいようにするため に、当会の幹事のみんなや会長のぼくがいるのです。安心して下さい。




昨年(1988年)、ぼくの聴いたレコードで一番よかったのは、ホロヴィッツのモーツァルトのピアノ協奏曲23番でした。あの歳に なっての初めてのモーツァルトデビュー。みえみえのアナリーゼ、わざとらしいデミネンドとクレッシェンド、不必要な五度和音で 溢れていました。また、嬰へ短調の2楽章は、あっさりとした速めのテンポにして、悲しみの深さを倍加していました。 好き嫌いは別にして、ホロヴィッツの中でモーツァルトが完全消化されています。カデンツァがブゾーニだなんて、腹を抱 えて笑っちゃいましたけど、実に素晴らしい! 彼はこのモーツァルトの演奏によって一個人のアーティストとして進歩し、 同時に、大衆を飽きさせていないのです。何という若々しいエネルギーでしょう。何歳になっても、アーティストはこうありたい ものだと思いました。誰だったか忘れたけど、ホロヴィッツの来日公演を聴いて「骨董品にヒビが入った」何て言ってた音楽評論家 がいましたね。ホロヴィッツは芸術家であって、骨董品なんて芸術品じゃないことがわかってないのですね。ちなみに「ぼくの好きな ピアニストはロンとリパッティーとホロヴィッツです」といつも言っていますが、これは、アーティストとしての生き方の評価 なのです。各ピアニストが個性的であることは自明のこととしなくてはなりません。彼らの個性を自分の個性と同様の敬意を 持って見てあげず、個性の好き嫌いで議論していると、彼らのアーティストとしての生き様は、全く見えてこないのです。




最後に、コミュニケーションというロマンチックな響きの言葉の乱用等に対して手厳しいことを一言だけ。

音楽上のコミュニケーションを円滑にするには、作曲者、演奏者、聴取の耳の訓練が必須です。

人はみんな名曲を選ぶ権利があります。

でも、同時に、名曲は人を選ぶのです。

名曲を選ぶことは、レコード鑑賞家にでも出来る簡単なことです。

でも、創造の担い手となる皆様は、名曲に選ばれていなくてはならないのです。

現在の皆様のレパートリーを洗い直して下さい。そして、それぞれのレパートリーにおいて、名曲に選ばれているような状況に 少しでも近づく努力を惜しまないで下さい。

これが、「ピアノと遊ぶ会」会長のぼくから会員の皆様への、実にエ〜ラそうな(笑)お願いです。









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