最近の「ピアノと遊ぶ会」幹事会においては、年に一回だけの正式な認可による「チャリティコンサート」の開催という話も
チラホラ出ています。アマチュアプロデュースの当会としては、一つの最終理想形態です。既に「ピアノと遊ぶ会」メンバーだけで
500人程度の聴衆を集めることは十分可能です。が、このような大規模なコンサートの開催にあたっては、主催は「ピアノと遊ぶ会」
でトップに掲載すること、そして、現在、ぼくが理事をしている「日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)」を共催にして
「ピアノと遊ぶ会」の下に掲載することの根回しは既に始めています。全て、「ピアノと遊ぶ会」の設立以来の非大衆的な歴史を
大切にしたいからなのです。将来のことはわかりません。当会が大規模なホールコンサートを行なうことは、下界と接点を持ち、
交渉しなくてはなりません。当会会員の「アーティスト」の皆様に、下界との煩わしい接点や手続きをしなくてよいようにするため
に、当会の幹事のみんなや会長のぼくがいるのです。安心して下さい。
昨年(1988年)、ぼくの聴いたレコードで一番よかったのは、ホロヴィッツのモーツァルトのピアノ協奏曲23番でした。あの歳に
なっての初めてのモーツァルトデビュー。みえみえのアナリーゼ、わざとらしいデミネンドとクレッシェンド、不必要な五度和音で
溢れていました。また、嬰へ短調の2楽章は、あっさりとした速めのテンポにして、悲しみの深さを倍加していました。
好き嫌いは別にして、ホロヴィッツの中でモーツァルトが完全消化されています。カデンツァがブゾーニだなんて、腹を抱
えて笑っちゃいましたけど、実に素晴らしい! 彼はこのモーツァルトの演奏によって一個人のアーティストとして進歩し、
同時に、大衆を飽きさせていないのです。何という若々しいエネルギーでしょう。何歳になっても、アーティストはこうありたい
ものだと思いました。誰だったか忘れたけど、ホロヴィッツの来日公演を聴いて「骨董品にヒビが入った」何て言ってた音楽評論家
がいましたね。ホロヴィッツは芸術家であって、骨董品なんて芸術品じゃないことがわかってないのですね。ちなみに「ぼくの好きな
ピアニストはロンとリパッティーとホロヴィッツです」といつも言っていますが、これは、アーティストとしての生き方の評価
なのです。各ピアニストが個性的であることは自明のこととしなくてはなりません。彼らの個性を自分の個性と同様の敬意を
持って見てあげず、個性の好き嫌いで議論していると、彼らのアーティストとしての生き様は、全く見えてこないのです。
最後に、コミュニケーションというロマンチックな響きの言葉の乱用等に対して手厳しいことを一言だけ。
音楽上のコミュニケーションを円滑にするには、作曲者、演奏者、聴取の耳の訓練が必須です。
人はみんな名曲を選ぶ権利があります。
でも、同時に、名曲は人を選ぶのです。
名曲を選ぶことは、レコード鑑賞家にでも出来る簡単なことです。
でも、創造の担い手となる皆様は、名曲に選ばれていなくてはならないのです。
現在の皆様のレパートリーを洗い直して下さい。そして、それぞれのレパートリーにおいて、名曲に選ばれているような状況に
少しでも近づく努力を惜しまないで下さい。
これが、「ピアノと遊ぶ会」会長のぼくから会員の皆様への、実にエ〜ラそうな(笑)お願いです。
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