『出身地・備讃瀬戸内海地域での演奏再開』
(2006.3.21.ホームページ掲載のために執筆)
掲載写真は、2000年4月9日に岡山で6年ぶりにステージにカムバックしたコンサート
のあと、岡山市内の居酒屋でH君の仲間を中心にぼくの岡山ファンクラブが結成された時のものです。6年ぶりのステージで、
さすがに疲れましたが、それだけに、美味しい酒でした。ただし、ぼくは、H君の言う、備讃瀬戸内海地区の音楽文化が低迷
しているので、演奏活動をして啓蒙しないといけないなんて使命感、全く持っていないので(笑)、やりたい時にやりたいよう
に続けていこう、と思っています。
東京から四国、高松にUターンした12年前から、ぼくは演奏活動をやめました。たぶん、6年前に、早稲田大学時代の
研究室の友人で日経新聞岡山支局長に就任したH君が、高松にさぬきうどんを食べに遊びに来た時、ぼくのコンサートを
岡山で企画すると、熱心にぼくを口説かなかったら、二度とステージには立たなかったでしょう。
もしぼくがまだ若く、演奏したい曲目に未練があったら、ずっと演奏活動を続けていたでしょう。が、絶対演奏したかった
室内楽曲は、もう、東京や大阪で十二分に演奏し尽くしましたので、こんな田舎で、手垢にまみれたレパートリーを演奏
したいなんて全然思ってませんでした。これについては、いい作品は、何回同じ曲をやっても新たな感動がある、と言って
自己満足している人もいますが、それは、曲の読み、アナリーゼが浅く甘いためで、生憎そういう甘い演奏はぼくはやらず、
作品を見切るアナリーゼをしますので、無駄な演奏はしません。また、自作も、それを認めてくれた東京、大阪で出会った
たくさんの友人が演奏してくれていて、出身地で自作発表する必要も全くありませんでした。
ぼくも、四国・高松に帰って6年もたち、懐かしい親戚や田舎の友人と再会し、美味しいさぬきうどんを食べてゆったり
して、東京みたいなラッシュもなくドアツードアの自動車での移動に慣れてしまい、コテコテの讃岐弁をしゃべる田舎の
おやじに戻ってしまっていたんですね(笑)。そこに東京から、大変な毒舌家のH君が転勤で来たのですから、大変でした。
本当に可笑しかったんだけど、H君は、転勤で赴任した、岡山、香川という備讃瀬戸内海一帯の住民の文化水準が低く、
クラシック音楽に無知であることを、南新町の喫茶店で、切実に歎いていました。東京と比べて同じ日本とは思えない、
とのこと。このあたりまでは、そのとおりだ、とぼくも同意しました。ところが続きがありました。岡田君は、高松の出身
で住んでるのだから、こういう音楽文化が低迷していることに対して演奏活動を再開しないといけない使命がある、と
言うのです。
まあ、これだけならば、ぼくも演奏活動を再開することはなかったのです。ピアノという楽器は一人で楽しめ、人前でやら
なくても好きな人はそれで十分なのです。が、彼が、岡山のアマチュア音楽活動のことを紹介し、「21世紀の日本を支える
若い人達のために」大きな刺激剤になっているということを聞いて、ぼくも納得し、「21世紀の日本を支える若い人達の
ために」やろう、と思ったのです。時あたかも、 21世紀になる頃でした(笑)。
さて、アマチュアとはいえ、40歳を超えたおっさんのぼくが備讃瀬戸内海地域でピアノソロデビューするなんて信じられ
なかったんだけど、H君はマスコミの力を最大限生かしてPRしました。地方公共団体、新聞社、岡山ロータリークラブへの
PRはもとより、山陽放送TV出演までセットしたのには驚きました。そして、
岡山デビッドホールのカムバックコンサートの後、
江守徹
さんなどとの共演や、
倉敷の
御園旅館コンサートまで決め、ものすごいプロデュースでした。
こうしてぼくは演奏活動にカムバックし、いい経験が出来たので、H君には感謝しています。
「21世紀の日本を支える若い人達のために」というキーワードを感じる局面も多々あり、
2000年
4月9日に岡山で6年ぶりにステージにカムバックしたコンサートで、浜田省吾の作品とショパンの
ノクターンOP.48-1をミックスアレンジにした作品が広く喜ばれたり、
また、岡山
後楽園への出演が、倉敷の作陽音大生達の刺激になったそうです。
でも、一番嬉しかったのは、
この時の演奏会のPRのために、日経新聞岡山支局長だったH君の紹介で出会った、
山陽放送の早稲田の先輩の
Sディレクターの依頼で、2000年3月17日午後6時半からの「山陽TVイブニングニュース・金曜インタビュー」に出演したの
をご覧になった石井岡山県知事の招聘で、
「岡山
後楽園・築庭300年祭・名月鑑賞会・ピアノソロコンサート/朗読会」に、ぼくのピアノソロ、朗読家の、
江守徹氏、平野啓子氏と共演(朗読BGMはぼくの作曲したピアノ曲でデュオにしました。)した演奏会にいらっしゃっていた、
親子連れの家族の奥様が演奏の合間に『クラシック音楽の演奏って、生で聴くとすごく素敵なのね。今度は、岡山のシンフォニ
ーホールへ行きましょうよ。』と、言っていたことを、ぼくの高松の音楽の親友のH君が聞いた、って後で聞かされたこと
でした。
こういう積み重ねを地方都市の音楽文化向上にするには、作曲家が必須なんだな、と思いました。この頃から、自分と自分の
共演仲間のためだけに作曲する姿勢を、聴衆(それもクラシック音楽に通暁していない幅広い人達)のために改めることに
しました。
地方都市のクラシック音楽文化振興について、ぼくは、大上段に構えて、ヨーロッパや東京のやり方をそのまま持って
来なくてもよくて、身の丈サイズの楽しみ方でよいと思います。ただし、プロデュースする側の企画能力というソフト
面は、ヨーロッパ、東京並みでないといけないのですが、この部分が地方都市では欠落していて上手く行かないのでしょう。
が、ぼくの場合は作曲を使った情景描写やその地域の民謡をバリエーションにする等の作品提供を通じて地域性が出せたの
でよかったようです。
また、演奏内容の言葉による説明は全くナンセンスで、演奏はウェブ上のコンテンツにはなり得ないとぼくは
思っています。
このホームページ開設主目的は、作曲です。だから、このホームページではノスタルジーと過去の記憶と過去の演奏会の
収録が必要不可欠なのです。
近日中、ぼくの過去の演奏収録では最高だったと自負している、フォーレ作曲「ピアノ四重奏 No.1」のカザルス
ホールでのVHS収録をアップロードするよう手配していますので、また、楽しみにして下さい。
もちろん、このVHSは、既に高松市のぼくの親しい音楽の友人には配っていて大変好評ですが、東京では、
APA会員のほか、2ちゃんねるプラス社の皆様にも好評のようです。
が、もう、そろそろ、ウェブの接続の光が一般的になっているようなので、アップロードすることにしました。
千利休の言う「一期一会」(ぼくの大好きな言葉)は大変に重要なことだけど、「一期一会」がウェブ上では、
未来永劫無理だろうと思っています。