『母の納骨と分骨をすませて』
(2007.5.2.ホームページ掲載のために執筆)
4月29日から今日5月2日まで、弟の英司、世田谷の叔母と一緒に母の東京の墓地への納骨と、京都西本願寺への分骨に行ってきました。
母のお骨を持って新幹線に乗って行ったので、東京駅から近い、英司のよく知っている、隼町の「グランドアーク半蔵門」に、4月29日と30日、連泊しました。とてもながめのよいホテルで、お料理も美味しく、感服いたしました。

4月29日には、東京にいた18年前に「ピアノと遊ぶ会」等で一緒に音楽活動をしていた、1986年に日本音楽コンクールで優勝した、有森直樹君が、ショスタコービッチの「前奏曲とフーガ」を四谷で「さわらび会」という音楽会で演奏したのでそれを聴きに行った後、東京にいた18年前に「ピアノと遊ぶ会」で一緒に活動していた仲間達約30名が集まってくれて、新宿の居酒屋で本当に18年ぶりに飲みに行き、3次会まで流れました。当時は皆、音大生だったのに、全員40歳を超えていました(まあ、ぼくも50歳になってるからあたり前なんだけど〔笑〕。)。当時から、ぼくは自分の感想なんかを言いたい放題言っていたけど、お互いの音楽性が形成された若い時期に、作曲家と演奏家という関係でお付き合い出来ていたので、とてもとても楽しい時間でした。
2次会の頭では、「岡田さんに歌ってもらいましょう。」と、誰かが、『千の風になって』のカラオケを入れてくれたので歌いました。やはりいい曲だけど、納骨に上京したぼくのために、集まってくれた音楽仲間たちは、本当にみんな優しいいい奴ばかりだな、と思い、泣けました。だから、よーし、今日は歌うぞ、と、松田聖子、スマップから美空ひばりまでいっぱい歌ってしまったのでした(笑)。
翌日の4月30日、世田谷の叔母と落ち合って、日吉の高台にある、岡田家先祖代々の墓に、母のお骨を持っていき納骨の後、二子玉川の高島屋でお食事をしてお茶をして、「グランドアーク半蔵門」に戻りました。が、納骨が終わってほっとしたためか、ぼくも英司もすごく疲れたので、ホテルで夜の8時まで熟睡した後、英司お奨めの「グランドアーク半蔵門」の近所の都市センターホテル地下の、和食と日本酒の美味しい『梅林』へ食事に行きました。
滝の流れる素晴らしいお店でした。日本酒のきき酒の資格を持っている担当者がお料理とコーディネイトしてくれた、山形県の『十四代』というものすごく美味しい大吟醸を飲みながら、京都の『なだ万』の料理長をしていた花板さんの作ってくれた、「うどとわらびの煮物」「鯛のしゃぶしゃぶ」「アナゴとタラの芽の天麩羅」などに舌鼓を打って、「グランドアーク半蔵門」に戻ったぼくは、腰が痛くなったのでマッサージをしてもらいました。母の告別式からずっと疲れがたまっていたのでしょうね。一時間近くやってもらってぐっすり眠りました。
こうして東京の納骨は終わりました。
翌日、5月1日に、母が生前から希望していた、西本願寺への分骨のために、3人で一緒に京都に行きました。京都の老舗喫茶のイイノで昼食をいただいてから、西本願寺大谷廟での分骨をすませました。本当に素晴らしい若手のお坊様のご案内と読経に感動し、亡き母もきっと喜んでいるだろうと確信出来ました。
とても、素晴らしい、京都西本願寺への分骨も、こうして終了しました。
その後、叔母とお別れして英司と二人で大阪に出て、ぼくが住友信託銀行時代大阪在勤の5年間によく利用していた、中之島の「リーガロイヤルホテル」に、チェックインし、滝が流れて曲水の流れる、懐かしい1Fのラウンジで、抹茶と和菓子をいただきました。
大阪も懐かしい街でした。前日は東京の『梅林』という高級なお店に行っていたので、夕食は居酒屋にしようと思い、ぼくが大阪在勤当時によく行った、阪急東通商店街の『吉在門』へ行って、刺身、塩焼き、煮魚を注文し、懐かしい懐かしい『サザエのガーリック炒め』と『れんこんまんじゅう』もいただきました。その後、英司がボトルを入れている南森町のお店へ飲みに行って、二人で飽きるほど、おふくろの思い出話をしてから、中之島の「リーガロイヤルホテル」に戻りました。
そして、今朝はゆっくり昼前まで、中之島の「リーガロイヤルホテル」で寝て、ルームサービスのブランチを食べて、高松に帰ってきました。
掲載写真は、「グランドアーク半蔵門」のお部屋からの眺望、京都西本願寺大谷廟、「グランドアーク半蔵門」の1Fレストランです。