inserted by FC2 system
  1. 無料アクセス解析
ご来客数;




『海の色も、山の姿も、昨日に続く今日でした。』




昭和50年香川県立高松高校卒業  岡田克彦


(2006.5.11.関西玉翠会会員配布の会誌掲載のために、2006年度関西玉翠会の依頼により執筆)



BGM;フォーレ『ベルスーズ』


(ヴァイオリン;竹内恵梨子、ピアノ;岡田克彦)

〔 1986.6.26. 東京・原宿パウゼ「マ・ノン・トロッポの会」アンコール・ライブ収録 〕







高松へのUターン半年目の12年前のその日、立ち上がったばかりの、鞄本マンパワー四国総代理店人材開発部の営業アシストとして来高した、大阪本町の、鞄本マンパワー関西本部のベテラン営業マンのT課長とぼくは、高松市今新町の某天ぷら屋で、お互い大好きな『司牡丹』を飲んで、めばるの煮つけをつつきながら、代理店が出来る前に高松の法人新規開拓を担当していたT課長の3年前からの懸案事項だった、高松市番町にある某信用金庫との取引開始が決定した祝杯をあげていました。

「いやぁ、よかったね。高松の、電力、地銀、第二地銀、JR、JA等はOKだったけど、ぼくが何百回行ってもあの信金の取引は始まらなかったと思うから、今日は、岡田君のさぬき弁に感謝、感謝。だってあそこは、ニーズがあるのに僕が10回以上行っても大阪から来た営業マンだから決められなかったんだぜ。」とTさんは大喜びでした。

が、ぼくも、生まれて初めてさぬき弁での営業が成功し、かなり興奮していました。

高松にUターンしてすぐ、東京スタイルのトークで、香川、徳島、高知の法人新規開拓をしていた頃でした。

「我が社の四国総代理店がオープンいたしましたので、担当者とご挨拶に参ります。」と、日本マンパワー関西本部のT課長がその某信金のK人事部長にアポイントメントを入れて下さっていたので一緒にお邪魔した時のことでした。

ひととおりの紹介が終わった段階で、

「ところで、四国総代理店のご担当の岡田さんは、どちらのご出身なのですか。」

と聞かれたので、

「はい。私は、生まれも育ちも高松でございます。」 と答えたところ、大変に喜ばれました。そして、

「そうですか。ほんだら、そんなにかしこまらんでもええんで。」といきなりさぬき弁のイントネーションに切り替わってしまったので、ぼくも、

「それならお言葉に甘えて、高松モードに変換します。」と直ちに合わせました(笑)。

「岡田さんは高松のどこで生まれたんな。」

「番町です。」

「えーーーっ。ほんだらうちの近所やない。わしも番町で生まれたんじゃあ。岡田さんは番町の何丁目やったんな?」

「番町4丁目、県庁のすぐ裏でした。」

「うわぁー。わしは3丁目やけん近所やったのう。ほんだら小学校は四番丁な?」

「はい。」

「うわぁ。わしと一緒じゃ。」

と言われましたので、すかさず、ぼくもあつかましく、

「K部長、いや、K先輩。香川、徳島、高知を私が担当させていただくことになったこの機会に、どうぞよろしくお願いいたします。」と頭を下げたところ、

「よっしゃ。ほんだら岡田さん頼んまっせ。」

と、通信教育と新入社員研修の取引が直ちに開始されることになってしまいました。しかも、既にT課長が大阪から10回ほどお邪魔していたので、説明も不要でした(笑)。

そしてその後、研修講師をどの先生にするか、高い安いでいろいろあったのですが、

「K先輩。この先生は安いけど、大阪の方で評判が悪い先生やけんいかんで。」

「ほーなー。あんたがそなん言うんならいかんのやろうの。」

「ちょっと高いけど、こっちの先生が、研修はうまいんですよ。せっかくお金出すんならうまいこといかさないかんですよね。」

「そうなんじゃのう。どっちの先生にしようかのう・・・・・。」

「高い方の先生がええで。その先生にしときまい。」

「ほんだらそなんするわ。」

とコテコテのさぬき弁でしゃべって決まってしまったので、大阪のT課長は、もう二人の会話に加われなくなり、目が点になってしまいました。その上、さぬき弁の話の流れで、Kさんの趣味、ご家族、親戚縁者、直近の法事、気に入っているうどん屋さん、好きなお酒、お菓子まで山のように情報が集まってしまいました。

「さぬき弁は、訛った関西弁だと思っていたけど、違うんだね。関西弁は商売と、買うのか買わないのか迫る姿勢が根っ子にあるから、若干イラチで、テンポよく言葉のキャッチボールを進めるんだけど、時々、高松で耳にするさぬき弁はゆったり、のんびりしてるだけだと思ってたんだ。でも、全然違うんだね。」と、T課長に言われました。

話を聞くと、彼が一番驚いたのは、
「そうなんじゃのう。どっちの先生にしようかのう・・・・・。」
「高い方の先生がええで。その先生にしときまい。」
「ほんだらそなんするわ。」
の対話のくだりでした。

「どっちの先生にしようかのう・・・・・。」
と相手が迷って考える間を置いたあとは、東京だったら「いかがいたしますか。」、大阪だったら「どうでっか。」と問い合わせの質問をするところなのです。

が、さぬき弁では、ぼくが言ったように、
「高い方の先生がええで。その先生にしときまい。」
といきなりお客様に命令してしまっていたので、すごい言葉だ、と言われました。

・・・・・このように言われると確かにそうなんだけど、ぼくはお客様に命令しようなんて気持ちは全くないのです。が、それまでの、一連のさぬき弁の対話で、お客様とは友達になってしまっていて、ぼくが言う言葉はお客様のためを第一に考えているという前提が確立されてしまっているから、「高い方の先生にしときまい。」でOKなのです。・・・・・などなど、いろんなことを考えて、さぬき弁っていうのは基本的に友達言葉なので、敬語は苦手なんだけど、相手の懐に飛び込むのは非常に得意なんだなあ、と気づかせられました。

以上のように高松へのUターン後の仕事「日本マンパワー四国総代理店」のテリトリーの香川、徳島、高知の従業員教育の法人新規開拓営業を通して、ぼくは高松の出身でよかったなぁ、と感じました。というのも、香川県の西讃地区、高知県、徳島県の法人は外部から入って来る新しい文化に積極的な対応をする風土で、全て、東京スタイルだったぼくの営業をすんなり受け入れてくれましたが、高松は慎重に対応する閉鎖的な文化風土だったからです。でも、逆に、出身地が近所であるということと、必要に応じてさぬき弁を使い分けるしゃべり方が大変な威力を発揮し、あっという間に人生の先輩の友人が高松にいっぱい出来てしまいました。

こうした、香川県の西讃地区、高知県、徳島県と、高松の文化風土の違いは、間違いなく、江戸時代に譜代大名であったか外様大名であったかに関っているようでしたが、このことは、ぼくの趣味、クラシック音楽の、コンサートやイベント集客能力において、香川県が、西高東低の冬型の気圧配置になっていることや、電通勤務の友人の話による、四国四県の県庁所在地でイベント集客力が最も低いのが高松市で、最も高いのが高知市だということと奇しくも一致していました。

また、仕事内容から、従業員教育等での敬語導入、方言をどう処理するかについて、いろいろな地元企業の人事担当者、地方公共団体の地域歴史に詳しい皆様や東京からいらっしゃる経営コンサルタントの言語学に造詣の深い先生方の貴重なご意見を聞く機会に恵まれ、ぼくは、高高在学中にしゃべっていた「さぬき弁」と、「さぬき弁」の醸出する高松の文化風土について考えさせられました。

その結果、さぬき弁は、この世で出会う全ての人間と仲良くすることを大前提とした、「ファジーでモワーッとしたぬるま湯」状態を醸出する、世界平和に貢献出来る素晴らしい方言だとわかりました。

外部文化を素直に受け入れない体質や、コンサート等の時間芸術に疎い高松の状況から、東京の文化人の皆様は、「高松は民度が低い」と一刀両断にすることが多いのですが、これはあまりにも東京を中心に考えた利己主義的な意見のようにぼくは感じています。第一、ぼくは、インターナショナルになり過ぎた東京は、果たして日本国内なのだろうかと、常々懐疑的になっています(笑)ので、東京の皆様の言う「民度」が日本の風土にフィットした「民度」なのかどうかはなはだ疑問なのです。また、東京と高松を比較すると、時間の流れている空間の環境は、24時間に渡り、高松の方が人類の生存には適していて、空気は美味しく、野菜も魚も新鮮で、穏やかな瀬戸内海や島影の美しさから四季折々の風情を見せる山々の緑や紅葉まで、住んでいる人達は、五感全てにおいて24時間癒される環境にあります。だから、現金という世俗的要素を全く度外視するなら、ぼくが東京で働いていた頃、忙しい仕事の合間に喫茶店で昼食後に飲んだ一杯のコーヒーや、アフターファイブに聴きに行ったサントリーホールでの演奏会で癒されたひと時というものが、朝から晩まで、高松には普遍的に存在しているのですから、時間を買う感覚が東京に比べて高松に乏しいのは当然なのです。

一方、東京での15年間に渡る住友信託銀行勤務で、現金という世俗的要素と付き合って来たぼく自身の経験に照らすと、全ての意思決定がグローバルスタンダードになり、預貯金もハイリスクハイリターンになり、自己責任が重くなるのが21世紀のようですが、こういうアメリカかぶれの感性が行過ぎると、日本全国津々浦々が「六本木ヒルズ」になってしまいます。ですから、高松では、是非、あまり仲の良くない(笑)農協と漁協が「かまんでないんな」(笑)と、アンチM&Aの旗頭として仲良くして、過度にグローバルスタンダードな感覚の四国上陸を阻止した方がよいと思っています(笑)。

つい先日、JA香川県勤務の高高の同窓の友人とお茶を飲みながら、JA民営化に反対して農民一揆を起こすべきじゃないかと、若干血の気の多い住友風の提案を冗談半分に言ったところ、「ほーなー」と聞き流されて笑われました(笑)。で、ぼくは「ほーなー」の方が、M&Aより強いと痛感し、さぬき弁もなかなかやるなあ、と安心しました(笑)。

以下、平和で穏便な、ファジーでモワーッとしたぬるま湯な、さぬき弁の代表格を並べます。このような素晴らしいさぬき弁を毎日話す習慣が日本中に広がれば、必ず、世界平和に貢献すると思いませんか?

(1)「かまんでないんな」・・・・・かまわないのかかまわなくないのかよくわからないので、どっちでもいいや、と家に帰って昼寝をしたくなる癒し系の、「全てOK」という意味の言葉です。

(2)「うまーげな」・・・・・うまいのかうまくないのかよくわからないので、責任回避にはとても便利な、柔らかい断定しない、半分京都的な言葉です。

(3)「親戚ばし」・・・・・親戚と親しい友人が混じった人の集合体。「心やすい人」と同意。モーターボート協会の故、笹川氏の言っていた『人類みな兄弟』をもっと推し進めて『人類みな親戚ばし』になると世界は平和になるように思います。

(4)「ふうがわるい」・・・・・とりあえずその場は丸く綺麗にしておきましょうという心遣い表出の言葉。これが、香川県の自動車シートベルト着用率日本一の背景にあります。

(5)「ほっこ」・・・・・東京の馬鹿、大阪の阿呆に相当します。が、「ほっこ」はとてもリズミカルな響きなので、このように言われても怒りたくなくなります。

(6)「まっつくつい」・・・・・「ほっこ」同様、リズミカルな響きの方言。「つい(対)」が同じという意味。この比較級が「まっつい」、最上級が「まっつくつい」です。「同じですね」という意味で、「ついやのう」と言うところを「まっつくついやのう」と言った方が急速に相手と親しくなれますので、言葉の意味より、相手に投げかけたい親しみを強くしたい時に最上級を使い、弾んだ響きのしゃべり方で相手を仲間に引込んでしまう言葉です。

(7)「ほーなー」・・・・・聞き流しながら聞いたと思わせることの出来るマインドコントロール系の言葉です。が、この方言は、使う相手を十分考えないといけません。東京の経営コンサルタントの話では、会社組織の中の部下指導にあたって、部下から相談を持ちかけられた時には絶対使ってはいけない言葉になります。また、その他の局面においても、どうしても自分の言うことを聞いて欲しいと思っている人に対しては、アクティブリスニング(積極的傾聴)で受けないといけないので、「ほーなー」じゃなく、「そうなんだね。」と答えるべきです。ロジャースの行動心理学の本を読めば簡単に理解出来ます。また、阿波弁の「ほーえー」は、全く同じ意味の方言なので、注意が必要です。

(8)「その笠に乗せてー」・・・・・雨が降って来た時に笠を持っていて、笠を持っていない人からこう言われたら、自分の車に乗せるように笠の下に入れてあげます。

(9)「いたー」・・・・・下さい、という意味の非常に高度な短縮言葉。(8)も(9)も語尾を延ばすだけで謙譲語になってしまう、さぬき弁の引田天功まっ青の大マジックです。

以上のような、さぬき弁は、仕事で出会った経営コンサルタントの言語学者達のお話によると、香川県民が農業に携わって長く生きて来た歴史と、没落した平家が落ちて来た時にやって来た京都の人達の影響を受けたところから確立されたのだそうです。確かに、ビジネスライクには、本音がわかりにくいという京都的な欠点があるので、さぬき弁に、ウザい、かったるい、という感覚を持つ県外の人達もいるようです。

が、江戸時代の頃、高松は、ビジネスをしていたのでしょうか? 実際、士農工商の時代、讃岐藩主の松平さんが、商売人を増やして高松を活性化させようと、丸亀藩に住んでいた商売人を強制移住させて「丸亀町」を作り、神戸に住んでいた商売人を強制移住させて「兵庫町」を作らないといけなかった位ですから、元々、ビジネスに熱心ではなかったようです。また、明治維新後に、やはり松平さんのご意向で、煙突が増えると別荘の栗林公園の眺めが悪くなるので工場地帯を坂出に追いやり、大砲の音が嫌いだったので陸軍を善通寺に追いやった(この跡地が陸上自衛隊善通寺駐屯地です。)ことから、高松には、栗林公園はありますが、工場の煙突も少なく、大砲の音も聞こえませんので、こんな平和な歴史に基づく街は、日本でもほとんどないだろうと、ぼくは誇りに思っています。また、高松出身者には大政治家も大実業家もいないのですが、高等裁判所、霞ヶ関の主な四国支局、外郭団体、県庁、大手企業の支店、四国電力、JR四国の本社も全てありますので、過保護な(笑)環境で、のんびりと癒されて暮らせる街です。特に、JR四国本社と、日本道路公団支局が高松にあるため、線路も、高速道路も、高松を中心に設計され、四国で、高松は一番便利な土地です。実際、自動車で高知の土佐清水市から徳島市に行くのは本当に大変なのです。

さて、最近、2005年以降の高松の状況をご案内しましょう。

香川県の道路舗装率は99%で、日本でも非常に高い水準でしたが、更なる道路整備に伴って、ぼくたちが高高在学中だった頃に比べて、高松の街はすっかり変わりました。今日では、高速道路の四国道、東バイパス(夢街道)、レインボーロード、サンフラワーロード、インテリジェントパーク、香川大学工学部等々が完成し、高松は自動車で便利に移動出来る街に変貌しました。東京、大阪で暮らすには、自動車はなくてもよいですが、高松では自動車は生活必需品になっています。現在の高松の中心は、ぼくたちが高高在学中だった頃の、中新町や五番丁交差点から、空港通り(歴史文化道)と東バイパス(夢街道)の交差する上天神交差点に移動し、この交差点には、エレベーターのついた陸橋が架かって、ユニバーサルの先端を走っています。また、たぶん、高高に通っていた皆様ならば懐かしい思い出になっている、うどんの食べられる喫茶店「アズマヤ」も、最近、栗林公園向かいの「パークサイドホテル」1Fに移転しましたし、栗林公園動物園の跡地は駐車場になる予定で工事中です。さらに、1年以内に「ゆめタウン」に続いて、「イオン」の大型店舗も香西町にオープンしますし、2年後位にスーパーの「マルナカ」が大的場に300室程度の大型ホテルをオープンさせる予定です。八つの町から成るアーケードでつながった商店街の内、トキワ街は6割が空家になってしまい、おしまいが近くなっていますが、その他は元気です。だから丸亀町商店街再開発が順調に進んで、その入口に森ビルがやって来て、全日空ホテルに続いて、日航ホテルも来てくれれば、この前の合併で庵治町、国分寺町から塩江町までの人口42万人になった高松市は、さらに平和で住みやすい街になるだろうと期待しています。また、10号線は新レインボーロードとして再開発の途上にあり、観光通りの車線拡張も1年後で、東方面の道路整備はこの完成で完璧になりますし、高松空港の裏には、素敵なグラススキー場も出来ています。 一方、JA(農協)とJF(漁協)という、かけがえのない地域コミュニティーが、高松ではまだまだ健在で、特にJA香川県産直店は、香川県内に56ヶ店もあり、その朝抜いて来たばかりの大根が1本100円、万葉が一把50円、太い竹の子が200円、大きなバラの花が3輪で200円、キャベツ一玉100円、自家製チラシ寿司1パック120円程度で、タマネギの苗まで含め、いろいろな掘り出し物が、全て生産農家名がブランド名として添付されて販売されています。県外で暮らしている皆様が高松にいらっしゃった時は、是非、レンタカーを借りるなどして、街を走ってみて下さい。高松市内のJA香川県産直店を一巡するだけで、高松の自然環境の豊かさは確実に体験出来ます。また、庵治漁協の朝市は以前から有名なのでご存知の方も多いと思いますし、昔から、高松旧市内の各所では、毎朝、いただきさん(漁師さんの奥様が朝捕れたての魚介類を自転車に繋いだワゴンに載せて売りに来て下さる行商のこと。昔は、大きな桶に魚を入れて頭の上に載せて〔いただいて〕売りに来ていたところから、この通称になりました。)が新鮮な魚介類を販売して下さるので、お刺身や地のエビ等は、甘味のある最高に新鮮なものが、居ながらにして安く手に入ります。

21世紀になった今後も、「なんができよんな」「まんでがん」「水がまける」「風呂にいる」「きにょう」「まち」「腹がおきる」「ごっつぉ」「とばーとばせんので」「ひにしる」「しゃんしゃんしまいよ」等の、県外の皆様に絶対意味不明の(笑)ファジーでモワーッとしたぬるま湯状態のさぬき弁は、ずっと残って欲しいし、栗林公園は、県立公園として是非、開園時間が『日の出』、閉園時間が『日没』のままでいて欲しいと願っています。

ところで、昨今の、さぬきうどんブームを受け、玉翠会の団塊の世代メンバーが中心になって「恐るべきさぬきうどん」の映画化が予定されているそうです。どんな映画になるのか楽しみですが、ダイエットヌードルとして、ニューヨークでは「手打ちうどん教室」がブームになっているのだそうです。個人的にぼくは、高松旧市内のセルフサービスうどん店では、八本松にある、椎名誠のエッセイに登場した、トッピングの天ぷらの美味しい「竹清」(ちくせい)が大好きです。が、うどんにうるさい高松の皆様の好みは様々で、美味しいうどん店は、人口の数だけあるようです(笑)。

が、さぬきうどんの発祥地は、西讃の綾川流域の滝宮か琴平なので、高松を代表する食材は、餡餅入りのお雑煮だとぼくは思っていて、味噌汁とぜんざいの中間のような餡餅入りのお雑煮こそ、高松のファジーでモワーッとしたぬるま湯の雰囲気の最もよく出た食材だと感じています(笑)。

だから、ぼくが、県外で暮らしている皆様にコテコテのさぬき弁で「高松に帰ろうよ」と呼びかける言葉は、「餡餅雑煮食べに帰って来まい。」となります(笑)。
「・・・・・まい。」は一番最初にご紹介したように命令形なので、いきなり投げかけると、「何を、偉っそげに言よんな。」って言い返されるかもしれない(笑)。

でもね、「餡餅雑煮食べに帰って来まーい。」と、さぬき弁のイントネーションで言われたら、たぶん、高高で大切な時期を、さぬき弁をしゃべりながら一緒に過ごした仲間達は、「ほーなー。」って言って、半分は聞き流しながらも、お正月じゃなくても帰って来てくれるんじゃないかな、それも、「あんたんとこも高松に帰るんな。うちとまっつくついやのう。」と仲間を大勢誘って帰って来てくれると嬉しいな、と、前向きに、ぼくは期待しています(笑)。

最後に、『二十四の瞳』では、「海の色も、山の姿も、昨日に続く今日でした。」
という至極名言で、小豆島の自然豊かで平和な、時間がゆったりと流れている風情が示されています。が、これは、世界平和に貢献出来る「ファジーでモワーッとしたぬるま湯」のさぬき弁に浸れる人の多く住む高松にこそ似合うとぼくは思うので、アレンジしてご紹介してしまいましょう(笑)。

「浜街道から見える瀬戸内海の色も、屋島の姿も、昨日に続く今日でした。」
「産直店の蕨の色も、いただきさんが持って来た蛤の姿も、昨日に続く今日でした。」
「玉藻公園の玉砂利を踏む音も、栗林公園の松の姿も、昨日に続く今日でした。」

ただし、

「『サンポートタワー』外壁のぞろーげなオリーブ色も、『ゆめタウン高松』に向かう自動車の渋滞の姿も、昨日に続く今日でした。」あたりは、
「香川県庁の偉っそげな対応も、高松市役所のがいな受付も、昨日に続く今日でした。」
「屋島スカイラインが有料なことも、浜街道五色台トンネル通行が無料にならないことも、昨日に続く今日でした。」
共々、改善の余地はあるのですけど、

まあ、そんなにがいげに言わんでも、


「かまんでないんな」(笑)!









Copyright (c) 2001-2016 Katsuhiko OkadaAll rights reserved


入口へ

inserted by FC2 system