BGM;J.S.バッハ作曲:「G線上のアリア」(エンドレス)
〔リンク先、机の上の交響楽・ぴっころ氏制作MP3〕
本日は、お忙しいところを、母、岡田直子の葬儀にご会葬下さいまして、誠にありがとうございます。
このように大勢の方々にお見送りいただき、さぞかし故人も喜んでおることと存じます。
母はこの8月17日午後1時に突然、脳幹部脳内出血で倒れました。
翌日は、しゃべることも瞼を開けることも出来なくなり、わずかに呼びかける声に応え、ぎゅっと手を握り返してくれましたが、さらに次の日からはそれもかなわなくなりました。
約1ヶ月の間、だんだん母が意識を剥奪されてゆく様を見ることは辛いことでした。
が、ずっと付き添っていた私に母が最後にしゃべった言葉になってしまった、脳幹部脳内出血で倒れた8月17日の夜、香川県立中央病院にて必要だと言われて、私が買っていったオムツへのお礼の言葉、「克彦、オムツ有難う。」という感謝の言葉を残して、最後には、痛みを感じることもなく、全ての煩悩から解き放たれ、静かに逝去いたしました。
たくさんの方々、遠方の方からもお見舞いをいただき、意識不明であったので、非常にご迷惑をかけてしまうのではないかと思っておりましたが、耳は最後まで聞こえていたようでございます。
右側の脳を活性化させ、アルファ波を増やす効果があるといわれている純正調、アダージオのバロック音楽を、毎日、朝から就寝時間までCDで聞かせました。
また、本日の葬儀のBGMは母が生前大好きだった、穏やかな音楽フォーレ作曲「レクイエム」の『アニュス・デイ』を流しました。
私も、母が最後に残した、「ありがとう」と、人に感謝する気持ちを大切に、ささやかでも穏やかな一生を送りたいと思っております。
本日は誠にありがとうございました。
私は、生まれてはじめての喪主としての会葬お礼の言葉を、9月20日午後1時、母の告別式の行なわれた高松市藤塚町の「公益社」東館4階での母の告別式の最後に述べ終わりました。
9月19日午前11時15分に逝去した私の母、岡田直子の、当日のお通夜の夜中に考えた挨拶でした。
母とのいろんな思い出が一挙に溢れてきて、どうしても泣き出しそうになり、挨拶を読み終わることが出来ないかと思っていましたが、なんとか最後まで読み終えることが出来ました。
葬儀のBGMは、母の大好きだった、フォーレ作曲「レクイエム」の『アニュス・デイ』がエンドレスで流れていました。
祖母の、詩吟臥風流大師範だった、故、榊奏風(榊英子)と、私の作曲作品がご縁で出会った、自民党衆議院議員の平井卓也様、民主党
衆議院議員の小川淳也様、自民党市議会議員の大浦すみ子様、先般の香川県知事選挙で落選された多田羅譲治様、香川県
議会議員選挙で落選された三好健一様等の政治関係者の皆様が、党派や選挙での勝ち負け等の下界のよしなし事と全く
無関係にご会葬や弔電を下さったことは、四国博報堂、四国電力、百十四銀行、タダノ等の高松の民間企業の管理職の皆様方が、
お金儲けという下界のよしなし事と全く無関係にご会葬下さったことと共に、ハイティーン当時に高松大空襲を経験し、
ささやかながらも波乱万丈の生涯を送りながら、世界平和と人の和を大切に生きて参った、母、岡田直子の告別式に
相応しいものになりました。
また、私の東京、大阪在勤当時に出会った元勤務先の住友信託銀行勤務の皆様や、理事をしていた日本アマチュア演奏家協会、
会長をしているピアノと遊ぶ会会員の皆様方、経営コンサルタントの先生方がお花のお供えを下さったり、弔電を送って下さいました。
私のピアノの恩師の高松市芸術団体協議会会長の石井ルリ子先生は、母が逝去した前日の9月18日の午後お見舞いに
来てくれましたが、その翌日母が亡くなったことを心からお悔やみしてくれ、多忙で列席できないとのことで、お花のお供えを下さいましたが、
葬儀会場の公益社の会長と懇意にしているとのことで、公益社の専務取締役のご会葬も賜りました。
私のホームページ上で聴いた自作の作品に感動したあまり、転勤で北海道から高松にやって来て
半年経過した今年の8月12日に私に会いに来て下さったY君という若者が、8月17日に母が脳幹部脳内出血で倒れて意識不明に
陥った母への付き添い中もずっと私を励ましてくれ、お見舞いに来ては母の手をずっとさすってくれました。また、彼が、母の告別式の
受付とご出棺の時の棺の運搬まで手伝って下さったことは、間違いなく母の引き合わせだと思っております。
でも、母が意識不明で倒れ、香川県立中央病院に入院し、実質的な最後通告をされてから、救命救急センターでの付き添い
だけでなく、辛い中、母に万一のことがあった時の準備をする際、私を一番励ましてくださったのは、四番丁小学校時代から、
国立香川大学附属高松中学校、香川県立高松高校時代の同窓の友人達、13年前の東京から高松へのUターン後の高松での仕事や
趣味の音楽で出会った先輩、後輩の皆様方でした。
母の入る予定の西本願寺派の金仏壇は、祖母(母の母)と祖父(母の父)も入っていたので、東京都世田谷区奥沢の本家に移して
しまっていたのですが、私が13年前に母の介護のために、東京から転職をしてまで高松にUターンしていたので、高松の自宅に
どうしてももう一つ仏壇が欲しいと思って相談した際に、四番丁小学校時代の同窓生の、高松市丸亀町の『岩佐仏喜堂』社長の、
岩佐武彦君が全ての相談に乗ってくれ、
「仏壇は値段や大きさじゃない。拝む人たちの気持ちだ。岡田君が毎日心を込めてご飯さんを上げて、お母さんとお話してあげれば
いいんだよ。」(こんなことを言ってくれる、人格者の日本国内の仏壇具店社長は、他にはいないと思います。)
と明言して下さり準備手配をしてくれ、お通夜の時に、あまりの急死に動転して、お数珠を持っていなかった喪主の私にそっと
近づいて来て、
「岡田君は喪主だよ。これ使えよ。」
とお数珠を貸して下さいました。
母の葬儀会場については、四番丁小学校と香川県立高松高校時代の同窓生の社会保険労務士の、修理伸一君が、
顧問社会保険労務士をしている『公益社』を紹介して下さいましたのでスムーズに執り行えました。
また、修理伸一君は、高松高校在学中、野球部の主将をしていましたが、彼の後輩で出会い懇意にしていた、民主党から立候補
して当選して日の浅かった、衆議院議員の小川淳也君は、心のこもった激励のメールを私に送って下さいました。
このようなことは、暖かいハートと思いやりだけで出来ることで、次回の当落とは、全く無縁にすごいことで、正直なところ、
私は、素晴らしい、小川淳也君という高松高校の後輩を持てたことに感動しました。
そして、香川県立中央病院脳外科を紹介して下さった母の主治医は、国立香川大学附属高松中学校と香川県立高松高校時代の
同窓生で、岡山大学医学部を卒業後、高松大林病院の院長をしている、大林直嗣君でしたので、
母の闘病生活中も、安心してお任せすることが出来、深く感謝しています。
やはり、持つべきものは、友達ですね。
私は、素晴らしい友人に恵まれ、本当に幸せだと、痛感しました。
母、岡田直子は、法名『慈照院釋妙恵大姉』として、49日に極楽に旅立つようでございます。
私の母の告別式にご参画下さった全ての皆様に、心から厚く厚く御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
私は、母が最後に残した、「ありがとう」と、人に感謝する気持ちを大切に、ささやかでも穏やかな一生を送りたいと思っております。
私が22歳当時作曲し、母に献呈した、ピアノ組曲「武蔵野」OP.28 のファンのお一人からいただいた次の言葉を胸に抱いて・・・・・。
『岡田克彦様のお母様、
岡田直子様は、
優しい二人の息子に
囲まれて最後を飾った、
間違いない、
人生の勝利者でした!』