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『千の風になって』と、
テノール歌手・秋川雅史さんのこと





作曲家  岡田克彦


(2007.4.16.執筆)


BGM:岡田克彦作曲;『雨の掬月亭』(エンドレス)
ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」より)
2001.1.31.倉敷御園旅館 「岡田克彦の世界サロンコンサート」
自作自演ライブ収録




今回から、エッセイで、ぼくの好きな曲をノンジャンル・アットランダムにご紹介することにしました。


特に、これまで掲載していたエッセイにおいては、四国・高松にUターンする前に、ぼくの演奏活動の中心だった東京の「ピアノと遊ぶ会」と、大阪の「コンセール・コスモ」の協同機関誌『無四可理亜(むしかりあ)』に掲載したものをご紹介していましたが、 それだけでは、作曲家としてのぼくの好きな調性感覚、構成感覚などが十分に伝わらないと感じていたためです。


このことを痛切に感じた理由は2つあります。


一つは、SNS「GREE」で出会ってリンク下さった、埼玉県在住の、同世代の、takaさんの執筆しているブログに啓発されたこと、ぼくの作曲の恩師、故、座光寺公明氏の没後20年記念の追悼ホームページが2007年の頭に完成したことから、彼の指導の元、古典音楽のJ.S.バッハとモーツァルトに没頭した頃を思い出したためです。


もう一つは、2007年2月14日に、高松で、フラメンコギター奏者の久保田徹さんとコラボサロンコンサートをやった時に、たくさんのお客様からいろんなリクエストをいただけたことでした。







時代は、21世紀です。ノンジャンルに音楽を楽しむ時代が本格的に到来していることを痛感しましたので、こういう時代こそ、和声学と対位法を完全に習得している作曲家が楽しい音楽空間を創造する中心にいるべき時代だと確信しました。


CDジッケット



初回の今回は、『千の風になって』のことを書かずにはいられません。


というのも、この素晴らしい歌詞は、大切にしてきた肉親を失った人達全員が聴くとき、涙を流さずにはいられない、素晴らしいものだからです。


レクイエムなどは、全て、死者のための鎮魂歌ですから、生き残った人達が歌うものですけど、この歌詞は、亡くなった人から、生き残った人たちへのメッセージなのです。


また、『千の風になって』の歌詞につけられた音楽の和声進行も、ゆったりした長調で、悲しみをたんたんと深めることに成功しています。







私の母は、昨年2006年の8月17日の午後、突然脳幹部脳内出血で倒れ、意識不明のまま入院し、翌月の9月19日に他界いたしました。


13年前、母が肝硬変で倒れた時、私は、転職をしてまで、四国・高松にUターンし、母のそばにいて介護することを決意しました。


当時、大蔵省の指導で、人口50万人以下の地方都市への財閥系信託銀行の出店は一店舗だけと決められていて、四国は、香川県高松市が三井信託、愛媛県松山市が住友信託、徳島県徳島市と高知県高知市が東洋信託(UFJ信託)と決まっていました。が、NTT共済を全国単位で独占していた三菱信託の高松出店だけは特別に認められていました。


従って、住友信託銀行で勤務していた私は、転職をしないとUターン出来なかったのですけど、そうしてまで、四国・高松にUターンすることにしました。


また、私にとっては、室内楽演奏や作曲を趣味として、東京、大阪で活動していましたので、四国・高松にUターンすることは、一大事でした。


お金を仕送りすることでかたをつけるという人達もいらっしゃると思いますが、住友信託銀行という金融機関でお金を扱う仕事を15年間やって来た私は、お金で買えるものと買えないものを明確に区分していましたので、年老いた母の介護は、絶対に自分がやらないと後悔することになると確信しました。







こうして介護していた母が、2006年9月19日に突然亡くなったのですから、精神的にも、心の空白を埋めることがすぐに出来るわけではありませんでした。







2006年の年末のNHKの紅白でこの作品を聴いたときも、まだまだ、100ヶ日法要が終わったばかりでしたから、心に響いては来ませんでした。


ただ、母のたんすに残されたアルバムなどを整理していたので、夏川りみの歌う「涙そうそう」の『古いアルバムめくり』はぐっと心に迫ってきましたけど・・・・・。







こうして年を越し、今年の3月の末、インターネットでいろいろなところを見ていたとき、2006年の年末のNHKの紅白で秋川雅史さんの歌った動画が流れました。







ずっと、母のそばで介護していましたけど、「あの時はああしてあげればよかったなぁ。」等と思うことも多々あったのですけど、このとき聴いて、「千の風になってあの大きな空を吹き渡っています」「夜は星になってあなたを見守る」のところで、何か、ほっとして、そして、涙が溢れました。


『そうなんだ、お母さんは、風になったんだ、私の回りでいつも吹いているんだ』・・・・・そう思うことで、家の外に出た私に吹いて来る風を、とても暖かく感じるようになりました。







2007年4月14日に、「GREE」というSNSで出会った、フラメンコギター奏者の久保田徹さんとのコラボサロンコンサートの最後は私のピアノソロでした。ショパンの幻想即興曲に高松の民謡「一合まいた」と、母が小さい頃歌ってくれた「中国地方の子守唄」をミックスアレンジしたものを入れようかと思っていましたけど、直前になってそれはやめました。


『千の風になって』と、ショパンの「別れの曲」のミックスアレンジにしました。演奏会の最後だから「別れの曲」でいいんだけど、私は、お母さんとの「別れの曲」に『千の風になって』をミックスして入れたかったからです。









秋川雅史さん

『千の風になって』 訳詞 作曲 新井 満


私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています


秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る


私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています


千の風に 千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています


あの大きな空を 吹きわたっています





A Thousand Winds / 原詩


Do not stand at my greave and weep

Words by Mary Frye


Do not stand at my grave and weep

I am not there, I do not sleep

I am in a thousand winds that blow

I am the softly falling snow

I am the gentle showers of rain

I am the fields of ripening grain

I am in the morning hush

I am in the graceful rush

Of beautiful birds in circling flight

I am the starshine of the night

I am in the flowers that bloom

I am in a quiet room

I am in the birds that sing

I am in the each lovely thing

Do not stand at my grave and cry

I am not there I do not die










この歌は、テノールの秋川雅史さんのものが最高だと思います。


特に、最後の「 あの大きな空を 吹きわたっています」のところを高域に上げて、響きの豊かなピアニシモで響かせ、入ってくる伴奏の弦楽器と見事に調和するところは、最高ですね。


もちろん、他のテノール歌手の演奏を知らないので、もっといい演奏の出来る人はたくさんいると思いますが、今のところ、日常的に耳に出来るものでは、テノールの方の演奏が一番いいと思っています。







最後になりましたが、この素晴らしい原詩について書きます。


この曲の歌詞は、アメリカの同時多発テロの追悼式、マリリンモンローの25回忌などでも朗読されています。


歴史の評価ほど正しいものはないと思います。







作詞者は不明とされていますが、調べたところ、メアリー・フライ(Mary Frye)さんというアメリカの女性が1932年に作詩したものという説がほぼ確実なのだそうです。


それによると、この原詩は次のような状況下で作られたそうですのでちょっと追記します。







メアリー・フライの親友マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)がヒットラーが政権を取っていたドイツから亡命してきていたのですが、マーガレットのお母様も国外に出たかったんだけど、老齢の上、具合も悪くて亡命できなかったのでした。全然手紙が来なかったので、マーガレットはそれこそいつもお母様の事を心配していました。


メアリー・フライの友人たちは大使館を通してできる限りのことをし、ようやく事が判明し、マーガレットのお母様が亡くなっていたことがわかりました。その結果、マーガレットは神経衰弱を患って、毎日、毎日泣き暮らしていたのです。


ある日、メアリー・フライがマーガレットと一緒に買い物に出て、茶色の紙袋に買ったものを入れて、家のキッチンテーブルで仕分けをしていた時、マーガレットがメアリー・フライの買ったものを見て、「それ、私の母が好きだったの。」って泣き出したので、次のような会話になったそうです。


メアリー・フライ「マーガレット、お願いだから泣かないで。」


マーガレット「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ。」


こうした対話の後、涙に目をぬらしたまま、マーガレットは2階の自室にひきこもりました。ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっていたので、ドイツに帰れる状況ではなかったのです。


この時メアリー・フライの手には、買物を点検するためのペンが握られていました。メアリー・フライは、引きちぎった茶色の買物袋に、一息に込み上げる詩を書き付けました。


しばらくして、落ち着きを取り戻したマーガレットが階下に下りてきたとき、メアリー・フライはマーガレットに紙切れを差し出し、


「これ、私が書いた詩なの。私の思う人の生と死のあり方≠ネの。あなたのためになるかどうか分からないけど。」


マーガレットは詩を一読し、メアリー・フライを抱きしめて言ったそうです。


「私この詩を一生大切にするわ。」


そして、その後、もうマーガレットが泣く事はなかったそうです。







この歌詞は、こうした経緯で生まれたものです。


だから、この訳詩の強烈な冒頭

「わたしのお墓の前で泣かないで下さい」

は、ですから、絶対に必要なのです。


ドイツにあるお母様のお墓にお参りにいけないマーガレットを励ますためにメアリー・フライが即興で書いた詩の中で最初に書いた言葉なのですから。








秋川雅史さん


ところで、メアリー・フライは、この詩について、著作権をとっていませんでしたので、作詞者不明になっているのです。彼女の言い分はこうです。







「この詩は、生きとし生ける人間みんなのものよ。」












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