
童謡「しゃぼん玉」
しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんでこわれて消えた
しゃぼん玉消えた とばずに消えた生まれてすぐに とばずに消えた
風風吹くなしゃぼん玉とばそ

童謡「せいくらべ」
柱のきずはおととしの 五月五日のせいくらべ
ちまき食べ食べ 兄さんが はかってくれたせいのたけ
昨日比べリゃなんのその やっと羽織の紐の丈
21世紀になり、全ての物事が便利になりました。が、残酷な子供の殺人事件、戦争が起こり出しかねない世界情勢があって、日本の古きよき伝統が、だんだんないがしろにされて来ている昨今のようにぼくは感じています。
ご存知の方も多いと思いますが、今日は、日本人が長く歌い継いでいるこの2つの童謡に歌われている、日本らしいデリカシーに基づく悲しみについて書きたいと思います。
まず、「しゃぼん玉」の作詩をした野口雨情には子どもがいました。けれどもその子は生後まもなく短い一生を終えてしまいました。雨情はあまりにも儚かった我が子の姿をしゃぼん玉に託し、この詩を作ったのです。
小さい頃、この歌に初めて接した時、この歌は、楽しい「しゃぼん玉」遊びを歌ったものだと思いました。が、そのうち、どうして「こわれて消えた」のか、「とばずに消えた」のか、楽しい曲なのに、どうしてこんな歌詞なんだろう、と不思議に思っていました。
謎が解けた時、野口雨情の気持ちを知った時、悲しくなるのが人間です。残酷な子供の殺人を平然とやってのけるような人達が生息している現在の日本は、どこかがおかしいのでしょう。
次に、「せいくらべ」の歌詞。
柱の傷は去年のものではなく「おととし」のものです。それは去年兄さんが出征し、せいくらべができなかったからなのです。そして兄さんは戦地で帰らぬ人となり、残された弟は「おととし」を思い出し、柱を見つめているのです。
北朝鮮の金正日の不穏な動き、そこに追い込んだ強硬な姿勢をとったアメリカのブッシュ大統領を見るにつけ、この両人に「おととし」を思い出し、柱を見つめている残された弟の気持ちを理解するようなデリカシーは皆無のようですね。
小泉さんが今愛好しないといけないのは、ヨーロッパ発祥のオペラではなく、童謡「せいくらべ」だと、ぼくは確信しています。
「文化って弱くて脆くて負けるものなんです。でもそれでいいのじゃないかしら。」・・・・・太宰治・・・・・・
小泉さんが文化人のふりをするのも、いいかげんにしてもらいたいものだと思っています(笑)。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」のアリア『誰も寝てはならぬ』について一家言あるのだそうですが、そのようなことをマスコミでペラペラおしゃべりになる前に、ひとつ絶対音感を身につけておいた方が、絶対音感のある、ヨーロッパの先進国首脳にはバカにされないだろうと思いますね(笑)。
掲載写真は、時々、お茶を飲みに行っている、香川県高松市林町の「アンドール・ハタダ」です。愛媛県に本社のあるハタダタルトの高松店なのですが、とてもケーキが美味しく、また、マントルピース等の内装や中庭を、母がとても気に入っていたので、生前は、よく行ったお店です。