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ピアノと遊ぶ会会員で、桐朋音大ピアノ科在学中の1986年に、見事、 「日本音楽コンクール・ピアノ部門」で優勝した、ピアニストの有森直樹君のことを綴ったエッセイをアップロードします。
ピアノと遊ぶ会 会長 岡田克彦


『1986.10.10. P.M.』
・・・・・祝!有森直樹君1986年日本音楽コンクール・ピアノ部門優勝・・・・・


ピアノと遊ぶ会会長・岡田克彦


(1986.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会』会報1986年11月号に掲載)




BGM;フォーレ作曲;「ピアノ四重奏 No.2」第4楽章


(ピアノ;岡田克彦、ヴァイオリン;竹内恵梨子、
ヴィオラ;納富継宣、チェロ;藤田裕)


〔1986.6.26. 原宿パウゼ「マ・ノン・トロッポの会」ライブ収録 〕





ラヴィーヌ・カルテットの活躍写真から

カザルスホールにて

1988.2.21.カザルスホール
第1回アマチュア室内楽フェスティバル
フォーレ「ピアノ四重奏 No.1 OP.15」
〔ラヴィーヌ・カルテットでの出演〕風景
(大正海上文化財団撮影)


関連エッセイ; 『ネルケンの思い出』・・・フォーレの室内楽・・・





1986.10.10.P.M.

0:30  日比谷公会堂着。もう既に150人もの人で列が出来ている。昼食を食う暇もないな、と思い、サンドウィッチを 買いにゆく。途中、リハーサルから出てきたらしい有森直樹君とバッタリ出くわす。桐朋の先生と一緒のようだ。 本選の前だし、何と挨拶したものか、
「やぁー。こんにちは。元気? 今日は本当におめでとうございます。」などとワケのわからないことをしゃべっている うちに「がんばって下さい。」と言うのを忘れてしまった。(ぼくの方が上がってどうするつもりだ。) が、髪の毛もパーマをあてたりして、いつになく正装していた彼はニッコリとして顔色もよさそうだったので一安心。 サンドウィッチを頬張りながら列に加わる。回りは音大ピアノ科の若い女の子ばかり。ぼくだけ浮いてしまったような 気分で待つこと、約1時間。

1:20  開場。ドッと流れ込む女性群。友達に頼まれた席をとるのに必死のようだ。このあつかましさ、 たいした根性だぜ。

2:00  司会者による出演者紹介のあと、本選開始。まずは山下英子さんのシューベルトの「ソナタ D.959」。 この晩年のイ長調はメカニックと音楽性のバランスのとれた実にいい選曲だ。山下さんは東京芸大3年生とのことだが、 もしかしたら作曲法など勉強しているのかもしれないと思った。実に学究的で音楽の構造のよくわかった人の、 よく考えた演奏だった。有森君、こいつは手強い相手だぞ。審査員が演奏家として優れた人をとるなら君の優勝は 間違いないと思っている。でも、もし、アカデミックな研究者の方を高く評価するような主観がもし審査員の中に 少しでもあれば、彼女は点数をかせぐにちがいないだろう、と直感した。
つづいてもう一人の有森、東京芸大の有森博さんの、ショパンの「ソナタNo.2」。これはダメだ。まず、彼は最初から 上がっていた。1楽章の前半は指が浮いてガタガタだった。少し後半でとりもどしたものの、2楽章の中間部の テンポ設定が遅すぎたようだ。そのため、2楽章の最後の中間部の回想部を中間部と同じ異常に遅いテンポに しなくてはならなくなり、そこのテンポ・ルバートが不自然になってしまった。しかし、2楽章まではそれほどひどくも なかったのだ。ところが、この人は何を血迷ったのか、3楽章の葬送行進曲を明るく快活にやってしまった。 これを聴いて、この人はまず入賞しないだろうと思った。もちろん3楽章の終結の残響をペダルで残しながら4楽章の ユニゾンに突入するあたり、とてもコンクールとは思えないおもしろい試みはなされていたけど、たぶん、ポゴレリッチの 物真似だね、今ひとつサマになっていなかった。やはり致命傷は、葬送行進曲が楽しく堂々としていたことだね。 それと譜読みの間違いが2ヶ所あったこと。これはミスじゃないよ、再現部でも平気で間違えていたから。 聴く人が聴けば、この程度のことすぐにわかるんだよ。ちゃんと勉強しなさいね。

3;20  1回目の休憩の後、森田真実さん(何と中学3年生だ。)のショパンの「ソナタNo.3」。1楽章が開始された。 この音はいい。いける。それに、第4主題のフレーズの切れめをスタカート気味に小気味よくまとめていたり、とてもセンス のいいショパンだ。2楽章は100点。完璧なメカニックと音色に2楽章終了後、思わず拍手したくなった。が、しかし、3楽章 でダメになってしまった。この緩徐楽章はまとめるのが難しいんだけど、リピートの際の音色の変化に欠けていたのと、 全体の音量が大きすぎたことによって、とても退屈なものになってしまった。でも、4楽章はすごかった。第一テーマが 3回目に出てくるところの左手のアルペッジョのバスを2回落としてしまうという致命的なミスがあったものの、中学生とは 思えないド迫力。でも、全体を通しては、やはり余裕のないギリギリの演奏だと思った。15才だし、まだ、そんなに レパートリーがないのかもしれないから仕方ないだろうけど。・・・・・3楽章が仮にうまくいっていたとしても、有森君の 敵じゃないね。でも、ここまでやるとは、あっぱれな中学生だ。盛大な拍手とともに、思わず会場から「本当に中学生なの?」 と、どよめきが起こる。
考えてみると、『ピアノと遊ぶ会』では最年少の有森直樹君は、今日の本選の6人では最年長なんだ。本当にみんな若い。
そして、いよいよ、有森直樹君のシューマンの「交響的練習曲」。遺作付、というのが気に入ったね。これで、彼は、PPに おける音色の変化で勝負しようとしているんだ。まだ、中学生のあっぱれな名演の余韻が残っていたこともあり、テーマの 初めでは今ひとつ乗りきらなかったが、やはり思った通り、実に音色が澄みきっている。他の人たちと全然ちがっていて 固い実にいい音だ。すぐに、例によって例の『有森節』が出てきた。グレン・グールドのように低くうなったり、左足を ブラブラさせたり、鍵盤などろくに見ないであらぬ方を見つめたり、終結音で左の方を見たり、本当に彼の大好きな音楽に 彼が没入している。もうピアノの回りに彼の世界ができあがってしまい、立見までいっぱいの聴衆の緊張はその一点に集中 してゆく。いつも、『ピアノと遊ぶ会』で彼の演奏に接する全ての人達に起こる現象がこの日比谷公会堂でも起こり始めた。 それは、ウムを言わさず、聴く人の胸ぐらをつかんでいやがおうでも自分の世界にひきつけて離さない、一種の魔力だ。 もうぼくは安心して、回りの聴衆の変化を客観的に眺めているだけでよかった。・・・・・と、遺作で彼はソフトペダルを 使用している。そして、すばらしいPPの音色を使い分けた。この点はぼくの聴いたこれまでの彼の演奏で最高だった。 1年前と見違えるような成長だ。なんて、美しい音だろう。ヤッタネ!もうこれで完璧。あとは、既に小学校の頃プロコの 戦争ソナタ全部弾いてしまった君のメカニックでもってフィナーレを存分にやればいいんだよ。そしてもちろん、彼は ぼくの予想を上回るフィナーレの盛り上げをこれでもか、これでもか、って感じで見事に決めた。
おそろしい音量の長い長〜い拍手。今までの3人の分を全部足したくらい。いつものように、ホロヴィッツがスーツの ポケットに手を突っ込むような日本人離れしたステージマナーでもって、ハンカチをポケットから出して、鼻をすすりながら、 ペコッとお辞儀する彼。「ブラボー、ブラボー」と数名の人が2階席から叫んでいる。そのうえ、彼が楽屋にひきあげて 休憩時間にはいったため、舞台が暗くなっているのに、まだ拍手は鳴り止まず、コンクールだというのに「アンコール、 アンコール」などと叫んでいる人がいる。みんな有森病患者になってしまったため、一切の自制心をなくしたみたいだ。 ぼくの前に座っていた東京芸大の女の子達、「あのフィナーレに腰が抜けてしまって立ち上がれないわ。」 「あ〜あ、すごかった。」
ぼくは、心の中で、思っていた。「交響的練習曲」は、はっきり言って駄作だ。今日の演奏曲目中最低の作品だ。 こんなどーしようもないコンクールの本選で、こんなどーしようもない駄作を、こんなに素晴らしく演奏してくれたんだから、 作曲家のシューマンはあの世で喜ばなくちゃならない、と。

4:50  2回目の休憩に入る。ぼくはロビーに出た。有森直樹君の名演に興奮してしまって誰かとしゃべらずには いられなかったのと、もちろん、聴衆の十分な反応を見て、もう、もし彼が優勝しないとしても満足だ、とは思っていたが、 それでももし、ここまでやった彼が、学閥や審査員の主観のようなもののために優勝しないようなことがあったりしたら 頭にくるだろうから、あらかじめ、このイライラを誰かにぶつけて発散しておいた方がよさそうだったから。ちょうどロビーに 出たところに、『ピアノと遊ぶ会』会員でバンク・オブ・アメリカ勤務の小田切君と彼の出身の『東京大学ピアノの会』の 連中がいたので、さっそく、とっつかまえて話した。

「どうだった?」
「桐朋の有森さんが群を抜いていると思う。シューマンの『交響的練習曲』に生まれて初めて感動したよ。それだけでも、 今日、聴きに来てよかったと思った。」
「当然だよ。いつものようにやったんだからね。でも、問題は彼が1位になるかどうかだ。有森君に対抗できるとしたら、 審査員の主観にもよるけど、これまでのところでは、東京芸大の山下さんのシューベルトくらいだと思うんだけど。 あれはあれでよかったよ。」
「いや、ぼくは中学生のショパンの方。あの1楽章と2楽章の音色がよかった。」
「確かに、1、2楽章はよかったけど、4楽章のミスは問題だよ。バスの音を2回もはずしちゃいけない。 でも、致命傷は3楽章が退屈だったこと。まあ、15才じゃ、あの3楽章の表現なんて無理だから、先生の選曲ミス。 かわいそうだよね。」
「有森君の優勝については、あとの二人聴いてからでないと何とも言えないけど、これまでの四人で桐朋の有森君がトップで なかったらぼくは頭に来るね。もし、そんなことがあったら東京芸大の陰謀としか考えられないよ。」
「でも、聴衆の反応は正直だから。あのものすごい拍手の量で判断する限り、桐朋の有森さんが断トツだよ。特に今日の 聴衆の質は高いよ。ほとんどピアノやってる人達だ。」
「そんなことあてにならないよ。優勝者は審査員が決めるんだよ。審査員は東京芸大と桐朋の先生3人ずつだから、予選では、 東京芸大と桐朋の生徒以外全部落とされてるじゃない。学閥の問題があるんだよ。清水和音の時がそうだったみたいだし。」
「いやいや、清水和音がこの本選に出た時の彼の演奏について、聴衆は賛否両論だったよ。有森さんは清水和音なんて程度の ピアニストじゃないよ。もっともっとスケールがでっかい。負けることはないと思う。」
「でも、このコンクール、今年は500万円で一次予選通過を買った人がいるっていうじゃない。有森君がお金のためにひどい目に あわされないといいんだけど。彼は、本当にピュアに音楽を愛している人だから。」
「東京芸大の方の有森。あれは問題外だね。」
「ああ、あの葬送ソナタはちょっとやりすぎだ。それにいろんな面白いことやってたけど全て中途半端でミスが多かったし。」

5:10  最後の二人にはいる。桐朋付属高校の塩田幸子さんのショパンの「ソナタNo.2」始まる。東京芸大の有森さんより ずっといいのは当然のこととして、コンクールを意識してか、かなり手堅い。でも、迫力がある。気迫に満ちている。 かなりいいところいくんじゃないだろうか。特に、2楽章のスケルツォの切迫した雰囲気とペダルワークが実にいい。 でも、有森直樹君のような、コンクールよりも自分の音楽が先にあるような状態にまでは行っていない。しかし、東京芸大の 山下さんよりは演奏家タイプだ。ぼくは山下さんより塩田さんの方を買うけれども、これも審査員の主観次第だな、と思った。
そして最後に、東京芸大の森知英さんのベートーヴェンの「ソナタ30番」。ちゃんと弾いてはいる。ミスは少ない。 しかし全然音楽がない。つまらない。選曲はいいのに残念だ。第一、音が細すぎる。この人はベートーヴェンの音色と いうものを考えたことがあるのだろうか。2楽章のスケルツォはそれでもまだ音楽を必要としないところなのでましだった。 しかし、3楽章のあのすばらしいテーマの変奏で、ついに、この人のポリフォニックな表現能力のなさが露呈した。 ぼくはあまりにもつまらないので眠ってしまいそうになった。こりゃダメだ。この女、本当にバカじゃないの。J.S.バッハの 平均率のフーガ1曲たりとも、まともには弾けないんじゃないかな。ただ指が動くだけ。よくこんなのを予選で通したもんだ。 もしかしたら、東京芸大の審査員に法外なレッスン料積んだかもしれないから、金持ちの娘なんだろうな。
そして思わず今回、このコンクールを受けて予選で落とされたもっともっと音楽性豊かな東京芸大、桐朋音大以外の音大 ピアノ科に行っている『ピアノと遊ぶ会』会員の友人のこと(特に、〔後に、イタリアマクニャーガ国際音楽コンクールで 優勝した、当時、〕武蔵野音大ピアノ科学生の、熊井善之君のこと)を考えてしまった。彼等に、この本選の場が与えられて いたら、と思うと残念だ。まあ、でも、もし、熊井善之君と有森直樹君の二人が本選に出ていたら、2人の一騎打ちになった だろうから、2人を会員に抱えている『ピアノと遊ぶ会』会長のぼくは、本選を聴きに来なかっただろうな。だって、2人は 音楽を通して大の仲良しで尊敬しあってるんだから。音楽を通しての友情をナメちゃいけない。音楽なんて、もともと、 競争原理を持ち込める領域じゃないんだから。
あ〜あ、やっと終わった。時間が無駄に過ぎただけだった。まだ、東京芸大の有森さんの方がおもしろい分だけましなぐらい。 さすがに、このコンクールの弊害のような演奏には、拍手が露骨に少ない。今日の聴衆の質はなかなかいいゾ。でも、 とてもジェントルだね。『ピアノと遊ぶ会』のステージだったら、ブーイングものだな。

6:20  日本音楽コンクール・ピアノ部門・本選終了。30分後に結果が発表されるというが、4時間も聴いたこと、 特に最後の最悪のつまらないベートーヴェンの演奏を聴かされて疲れて眠たくなったのと、ぼくの予想を確信したので、 ロビーに、来ていた『ピアノと遊ぶ会』の会員全員を集めて、ぼくの予想を断言して、もし、この通りにならなかったら、 来年から『ピアノと遊ぶ会』会員は、日本音楽コンクールは受けない方がよい、と会報でPRするつもりだ、等という大言を 放って、安心して帰る。

以下は、ぼくの予想。
1位  有森直樹(当然、または、自明のこと)
2位  塩田幸子(がんばったネ。演奏家として将来が楽しみです。)
3位  山下英子(頭はいいみたい。演奏家じゃなく、いい先生になれると思います。)
4位  森田真実(あっぱれなれど、ショパンの3番やるにはまだ余裕なし)
・・・・・・・・・・
等外  有森博(猿まねの演奏はここまで。次回は、ポゴレリッチじゃなく、ミケランジェリを真似したらどう?)
論外  森知英(音楽性ゼロゆえ、予選差戻し。)

9:30  小田切君に電話入れて結果を聞く。

「3位に中学生が加わって3位が2人になったのを除いて岡田さんの予想的中でした。『さすがは、ピアノと遊ぶ会会長の 岡田さん。見事だ。』ってみんな帰る途中で立ち寄ったファミレスで話題沸騰でしたよ。」
「そうかなあ? 審査員がまともな耳してるんだったら当たり前だと思うけど。それに、今日の聴衆のほとんどはぼくと同じ 予想だったと思うよ。」
「いや、中学生が1位だ、という人もいましたよ。」
「何てバカなことを言ってる奴がいるの。まさか、『ピアノと遊ぶ会』の会員が言ってたんじゃないよね。会員だったら ぼくが除名にするよ。除名権はぼくにあるんだ。」
「うわあー。また怖いこと言ってますね。」
「冗談だよ。でも、ショパンの3番のソナタはそんなに甘くない。あんなつまらない3楽章の演奏に1位出してたら、 日本音楽コンクールの権威失墜、おしまいだよ。」
「中学生を推していたのは『東大ピアノの会』の奴ですよ。」
「何だそうか。じゃあ、そいつ、今、ショパンの3番のソナタ練習してて、ああいう風に1,2,4楽章が弾きたいって いうことだな。『がんばれよ。』って励ましとけばいいよ。」

本選に関して言えば、日本音楽コンクールも捨てたもんじゃないな、と思う。

結果;
1位  有森直樹さん(桐朋音大)
2位  塩田幸子さん(桐朋付属高校)
3位  山下英子さん(東京芸大)
    森田真実さん(浜松市立中学)






有森君の優勝、とても嬉しかったので、来ていなかった『ピアノと遊ぶ会』の中心メンバーに11時のNHKニュースで 報道される前の速報として数本電話を入れる。みんな大喜びで、『ピアノと遊ぶ会』で、有森君の記念リサイタルを開催する ことがすぐに決定。また、12月の『ピアノと遊ぶ会』忘年会を有森直樹君の優勝祝賀パーティーを兼ねるものとし、 『ピアノと遊ぶ会』特別会員のアマチュア・ピアニスト、兼、作曲家の衆議院議員の有島重武先生が、当日の予算委員会を 中座して出席することと、『ピアノと遊ぶ会』オブザーバーの作曲家の座光寺公明氏も出席すること等が即決した。 が、何よりもびっくりしたのは、作曲家が中心にいる『ピアノと遊ぶ会』にしか出来ない祝賀パーティーにしよう、という ことになり、『ピアノと遊ぶ会』忘年会会場に予定していたホンコンの飲茶中華料理店にピアノがないので、有森君が本選で 演奏したシューマンの「交響的練習曲」を、会員の作曲家の八木下茂氏が、急遽、弦楽四重奏曲にアレンジして、 『ピアノと遊ぶ会』忘年会会場で演奏することになってしまったことと、弦楽器の全員が演奏したくない、と嫌がっていた こと(笑)。まあ、そうだよな。シューマンの「交響的練習曲」なんて、原曲からして駄作なんだし、どーしようもない作品 だからね。一方で、「日本シューマン協会」の役員を全員呼ぼうか、何て冗談も出たけど、ぼくの判断で、「交響的練習曲」 なんて駄作を素晴らしく演奏してくれて、シューマンは有森君の世話になったんだから、「日本シューマン協会」が、お祝いを 包んでくるのなら受け取ってあげてもいい、ということにした。が、これにはちゃんと裏があって、「日本シューマン協会」の 会長夫人は東京芸大ピアノ科卒業だったから、無視する方が無難だということだった。ともかく、日本のクラシックピアノ界の 金権体質、下らない学閥主義は相変わらずだった。そう言えば、この日本のクラシックピアノ界の旧態依然とした体質の ことを、ぼくが小学校の頃、高松市民会館にリサイタルに来た時に会って一緒に食事した時、「日本ではプロのピアニストに なんかならずに、アマチュアでやってゆけるんならそうしなさい。」って言ってくれた、ベルギー在住だったピアニストの 宮沢明子さんが、『日本のクラシックピアノの世界は、佐藤栄作の長期政権よ。腐ってるわ。』って言ってたこと等、いろんな ことを思い出していた。







有森直樹さん、日本音楽コンクール・ピアノ部門優勝、

おめでとうございます。








ちょうど2年前の今頃だった。ぼくは、当時、住友信託銀行新宿支店に勤務していた。その日は残業で遅くなってしまい、 もう11時だった。レストランもほとんどしまっていたので、仕方なく、何でもいいからともかく夕飯を食おうと、とある ハンバーガースタンドにはいった。と、後ろから「岡田さん。」と誰かが呼びかける。誰だろう、と思ってふり向くと、 なんとそこには、『ピアノと遊ぶ会』の須江太郎君がコーラを飲みながら座っているではないか。新宿で知人と出会うなんて めったにないことだ。彼は友人と二人連れだったが、気にせずぼくはその向かいにすわり、
「いやぁー、タロー(須江君の愛称)じゃないか。久し振り。話は後にして、ちょっと待ってね。ともかく腹が減って減って たまらないんだ。」
と、ハンバーガーを3コ一気に平らげてしまってホッと一息。呆れ顔の二人に向かって、
「で、どうしたの、こんな夜遅くまで。」
「今、ディスコに行った帰りなんだ。」
ぼくは、例によって派手なタローの服装に呆れながら、
「なに、ディスコ? そんな中学生や高校生の集まる所へ、タローみたいなオジンが行っても相手にされないだろ。」
「そんな言い方ないでしょう。ひどいよ。ぼくはこの格好だと、まだ高校生で十分通るんだよ。」
『十分』をえらく強調しているのがおかしかったので思わず笑ってしまった。
「十分、ね、フフフ・・・で、隣の彼も高校生なの、それとも高校生ブリっ子? 紹介してよ。」
と、隣に座っているノッポでヒョロッとしたテクノっぽい彼を見ると、この人はものすごくダサいズボンをはいている。 でも、雰囲気的にはフランケンシュタインだな。(ゴメンなさい。でも、本当にそう感じたんだから仕方がない。) 音大生だなんて想像もできなかったから、タローがディスコででも知り合った人か、飲み友達くらいに思った。と、 信じられない答えが返ってきた。
「こちら、有森直樹君でぼくの大学の後輩。今、一年生なんだ。」
「え〜っ、桐朋なの。それもピアノ科。本当にそうなの。」
「なんでそんなに驚くの。彼はぼくと違って普通だよ。」
「わかった、わーーーった。タローの言う、普通ね。」
「そんなこと言って、岡田さんだってとても普通の銀行員には見えないよーーー。」
「そう言えば、悪徳不動産屋に見えるって、この前、熊井君に言われちゃったな。」
「アハハハ・・・・・、あたってるーーーー。そうだ。有森君も『ピアノと遊ぶ会』に誘ってよ。彼はすごい奴なんだよ。 ぼくの知っている人の中では一番素晴らしいピアノ弾く人だよ。」
「じゃあ、是非一度聴かせて下さい。」
彼はまだアマチュアプロデュースの会には出たことがないようだったが、一応説明を聞いて、
「おもしろそうだから、機会があれば参加します。」
とのこと。その日はそれだけで別れた。

こうして出会った有森君の演奏に初めて接したのは1984年の年末、『ピアノと遊ぶ会』のクリスマスパーティーを 目白のピアノサロン「アレグロ」でやった時のこと。みんなで飲んだり、ラヴェルを演奏したりドンチャン騒ぎをしている所へ、 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタのレッスンの帰りだ、とヴァイオリンの女の子と二人でひょっこり現れたのである。 ともかく、彼はよくしゃべり、みんなを笑わせ、大変なエンターテイナーぶりを発揮した。ピアノに向かってポップスの アレンジを即興でやった時など、その中に三度の半音階進行を鍵盤の一番上から下の端まで、上がったり降りたりを入れ、 (しかも、右手だけでなく左手でもやるのだ)その恐るべきメカニックには度肝を抜かれた。ぼくは、ただ、ただ、 「ハハハ・・・・・」と際限なく笑うばかり。で、彼、「この方がピアノやってる人にはウケるでしょう。」などと平気な 顔をしている。ぼくはもちろん、この人のメカニックはすごい、と思ったけど、それ以上に、この遊びとサービスの精神が 気に入ってしまった。これは、古きよき時代(今世紀初頭のラフマニノフやパハマン、ヨーゼフ=レヴィーンなどの巨匠の 時代)にあったもので最近のピアニストから失われてしまったものだが、彼はこれを持っている、と直感した。もしかして、 と思って彼にエゴン=ペトリやプランテ、ホフマンのことなど尋ねてみたら、これがよく知っている。よく聴いている人だ。 アマチュアが弾けない分詳しいのは当然のこととして、これまでぼくが出会った音大ピアノ科の学生で、SPか、または その復刻盤しかないこのあたりのピアニストのレコードまで聴いているようなのは数えるほどしかいなかった。これは本物だ。 しかし、なぜか彼は音楽の話題を避けたがっていた。どうしてだろう。一度、彼と二人で会うチャンスを作ろう。

そして、その少し後、彼にぼくの室内楽作品を見てもらいたかったので、「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジーOP.58」 のスコアを渡すために会って食事をした際、2時間ほどいろんなおしゃべりをした。音楽やピアノのこと、かなりつっこんで 話した。結局ぼくもずい分誤解されていたみたいだった。なにせぼくのこと、眼鏡をかけた学究的な人でマーラーあたりを 聴き込んでいる暗〜いレコード鑑賞家(でもアマチュアには多いんだ、このタイプ)だから一緒に音楽を語る資格がないと 思っていたそうだ。ぼくがマーラーファンで彼がフランケンシュタインってことになってたので、二人で笑ってしまった。
彼が小学校4〜5年で、プロコのソナタ全部弾いてしまったこと。一日10時間ピアノを弾いていた当時、既にメカニックに おいて弾けない曲がなかったこと。そのほか、あるきびしいピアノの先生に殴られたため失明した友人のことやら、いろいろ 嫌なことも聞かされた。やっぱり桐朋に幼稚園から行くっていうのはすごいんだな。彼のようなのが出てくるんだ、桐朋という 環境は。
でも、ぼくは、やはり、彼の才能や生き方の方を評価したい。もし、メカニックだけで終わってしまうなら、 それは人を感動させたりしないだろうから。

去年の初め、まず、有森君は、「銀座ピアノアートサロン」での『ピアノと遊ぶ会』に登場した。ショパンの 「幻想ポロネーズ」。ウムを言わせない感動の固まりのようなすごい演奏で話題をまいた。しかし、当時はまだ音色的には いま一つだとぼくは感じた。特に、PPにおける音色の変化が少し足りない点が気になった。彼の古めかしい、日本人離れ した独特のロマンティシズムには、もっと後の時代、ラフマニノフやスクリャービンあたりのスラブものが一番向いている のじゃないか、と思った。もちろん、何でも弾ける、というのが昨今のピアニストの条件だろうし、彼はこれを既にクリア しているけど、リルケも言っているように、本人が意識していないところにこそ本当のいいものがあるはずだ。それが聴きたい。

その次に有森君に会ったのは、去年の3月。彼のバイトしていた新宿のスナックへ飲みに行った時。彼はここでもカウンターで 大はしゃぎ。根っからのエンターテイナーだ。
「ねぇ、最近ピアノ弾いてる?」
「ここ一ヶ月ほどぜ〜んぜん。」
「ちょっとは練習した方がいいんじゃない。」
「ぼく、水商売が向いているんです。」
手がつけられない。でも、いつかは何かしでかしそうな人だ。並みの人間とはスケールが違っている。

そのわずか3ヵ月ほど後のこと、有森直樹君が、桐朋学内オーディションで1位を取ったという情報がはいる。 彼、ついにやる気になったんだな。彼の神話が始まった、と思った。秋に桐朋オーケストラとラフマニノフの 「パガニーニ・ラプソディー」やるらしい。これは聴きに行かなくちゃ。

そして、去年の8月、有森君が鷺宮「キネブチピアノ」での『ピアノと遊ぶ会』にやって来た。「まだ、暗譜が確実じゃないかも しれないけど。」と、楽譜を傍らに置いてラフマニノフの『音の絵』を5曲。ここのスタインウェイが初めて本当に鳴った。 そして、『有森節』が出たのだ。彼は、『音の絵』に没入すると、無意識のうちに、左足をブラブラさせながら一緒に歌って いる。まさしく、グレン=グールドだった。思ったとおりだった。彼のラフマニノフは素晴らしい。ところが、何と、彼は この『音の絵』の楽譜を買ったのが二週間前で、しかもその二週間後には、桐朋オーケストラとラフマニノフの「パガニーニ・ ラプソディー」の本番を控えている中だった。なんて、余裕。並の人間とはケタが違っている。ものすごく頭のいい奴だ。 スケールがでっかい。一番驚いたことは、「まだ、暗譜が確実じゃないかもしれないけど。」と言ったとおりで、途中 10数小節飛ばして弾いてしまったのだが、それがちっとも気にならないほど音楽が生き生きしていたこと。これは、ゴマカシ なんてものじゃない。彼については、応援する以外、ぼくの手の打ちようはない、と思った。この日の演奏によって、 ぼくは彼の熱狂的なファンになってしまった。

そして、去年の9月の人見記念講堂での、ラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディー」は既にこの会報でもお知らせした とおりだが、本番の後、近所のミスター・ドーナツで彼とコーヒー飲みながら、ダベってる時、有森君はもう平常心で、 既に次の演奏会のことを考えていた。

今年の初め、熊井善之君のジョイントリサイタルに有森君も来ていたので、帰りにお茶に誘ったら、
「いや、ぼく、ピアノの練習しないといけないので帰ります。」少し前の彼からは信じられない発言。須江太郎君に聞くと、 最近先生が変わって、ガゼン、ヤル気になっている。毎日、16時間弾いているらしい。じゃあ、あとは寝るだけじゃないか。 でも、彼がヤル気になっているのは嬉しい。もっと何か大変なことが起こるような気がする。

そして、今年8月の『ピアノと遊ぶ会』。有森君は、いきなり、モーツァルトのK.310を持って来た。当日の 『ピアノと遊ぶ会』には「日本アマチュア演奏家協会」(APA・エイパ)の弦楽四重奏団の重鎮が揃っていた。そして、 ペダルを多用し、ラフマニノフのようにロマンティックな、独特の解釈のモーツァルトに、全員が唖然とした。ほとんどの 人達のモーツァルト観が変わったが、全員が、彼の解釈を絶賛した。ぼくは、「日本アマチュア演奏家協会」(APA・エイパ) 会報に、この日の出来事を報告する文章を書くよう依頼された。






有森直樹さん。あなたは既に立派なピアニストなのです。あなたが、日本音楽コンクール優勝という肩書きを持つことによって 音楽的に得るものよりも、逆に、あなたを優勝者に加えることによって日本音楽コンクールの音楽的な質が向上することの方が ずっと大きいだろうと私は思います。そして、このことの社会に対して与える大きなインパクトは、実に大変なことです。 私は、この偉大な優勝をなしとげた有森さんと、そして日本のピアノ音楽界の有望な前途を

1986.10.10.P.M.

目のあたりにし、 感謝と感激で胸が一杯になりました。



有森直樹さん。
すべてはこれからです!
偉大なピアニストとして
世界にはばたいて下さい!


あなたの熱烈なファンの一人として
岡田克彦







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