1番.プロローグ・・・・・栗林公園は小さい頃から何回も遊びに来ました。ぼくの記憶の底に沈んでいて、ノスタルジーと不可分になっているような気がします。
2番.講武射の芝生・・・・・講武射の丘の芝生に寝転がって、いつも青空を流れる雲を見ていました。
3番.三島一連の池の仙磯(せんぎ)・・・・・三島一連の池を見ながら、よく瞑想にふけったものです。
4番.花しょうぶ園・・・・・しょうぶの綺麗な時期に見たしょうぶにかかった水滴をカノンにしまた。
5番.日暮亭・・・・・ぼくの好きなお茶室です。こけむした岩を見ていると本当にゆったり出来、懐かしい気分に浸れます。
6番.鳳尾塢(ほうびう)・・・・・松平さんが島津公から贈られたそてつを植えた庭。独特の風情があります。
7番.小普陀(しょうふだ)・・・・・栗林公園の発祥地。ここから長い長い歴史が始まったのです。たんたんと歩き続けることがどんなに大切かを教えてくれると思います。
8番.会千厳(かいせんがん)・・・・・今はなくなった、赤壁(せきへき)のそばの名所に想いを馳せました。
9番.麩(ふ)にかぶりつく鯉・・・・・池の鯉は、投げた麩を取り合い、あっという間になくなってしまいます。カプッ、カプッと麩にかぶりつく様を音型にしてみました。
10番.吹上の朝・・・・・えんげつきょうのそばの川の流れる吹上の飛び石の上で冷たい水で手を洗った朝。さわやかな風が、山から吹いてきます。
11番.楓岸のギャロップ・・・・・楓岸の石畳の遊歩道はいつも小走りでした。ちょっと物悲しいロ短調が似合うと思います。
12番.雨の掬月亭・・・・・お茶室の掬月亭には霧雨が似合います。池の上に無数の雨滴が見える様はとても幻想的です。
13番.飛来峰から・・・・・長い長い石段を上がってゆくと南庭の見渡せる飛来峰に出て、栗林公園の雄大な眺めが目の前に広がります。
14番.梅林橋の梅・・・・・去年の3月、年老いた母と一緒に栗林公園に来ました。母は江戸千家不白流の茶道が趣味だったので、掬月亭(きくげつてい)に行きたかったので手を引いてゆっくり歩きました。でも、骨粗しょう症を患っていたので、腰が痛く、通称・赤橋(あかばし)・梅林橋(ばいりんきょう)までしか歩けず、一服して帰りました。
「お母さん梅が満開だよ。」
「綺麗なのう。もうすぐ春が来るんやのう。来年の春こそはお母さん丈夫になって掬月亭(きくげつてい)まで行くけん、克彦すまんけどのう、また連れて来てえたのう。」
「わかったわかった。ぼくにまかせまい。はよ元気になりまいよ。」
母が亡くなる半年前、大好きだった栗林公園に最後に来た時のことでした。梅の香りが漂ってきて、春の訪れを予感しました。
15番.桜の馬場のトッカータ・・・・・桜の馬場は、走った記憶しかありません。お花見の時に従兄弟とかけっこしたことが多いんだけど、松の木にぶら下がっていたぼくを「こらぁー。」と叱って追いかけて来た管理人のおじさんから走って逃げた時もありました。
16番.晩鐘・・・・・夕方、どこからともなく聞こえてきた、もう家に帰りなさい、という鐘の音
17番.家路・・・・・いつも栗林公園で遊び疲れて自宅まで歩いて帰った家路。腹減ったなぁ、今日の晩御飯何だろう、なんて考えながら歩きました。この家路は、もしかしたら、未来までずっとつながっているのかな、と、夢みたいなことを思いながら・・・・・。
昔から、栗林公園から家に帰ると、夕げの支度をして、母が待ってくれていました。でも、もう、帰宅しても、その母はいなくなってしまったのです。
18番.エピローグ・・・・・高松で生まれて50年間親しんできた栗林公園の思い出をぼくの記憶の底から音楽でご紹介しました。でも、時の流れは誰も止められません。この曲は、これから先、栗林公園に親しむかもしれない香川県の若い皆様に捧げたいと思って作曲しました。もう21世紀になりました。この先もずっと続く素晴らしい栗林公園をテーマにした音楽作品が、例えば10年後とか50年後に、香川県在住の若い人たちの作曲で生まれることを願っています。
※ また、下記にて、それぞれの作品が全て聴けますし、このホームページ内のエッセイに添付している各曲も聴けますので、そちらでお聴きいただけます。
岡田克彦編曲;全世代メドレー・2007 OP.116
( J.S.バッハ「平均律vol.1-1」 〜 一青窈(ヒトトヨウ)『ハナミズキ』 〜 ジャズスタンダード・ミスティー 〜 尾崎豊" I Love You " 〜 『浜辺の歌』 〜 ショパン「幻想即興曲 OP.66」 〜 夏川りみ『涙そうそう』 〜 美空ひばり『リンゴ追分』 〜 ショパン「別れの曲 OP.10-3」 〜 新井満『千の風になって』 〜 高松の民謡『一合まいた』 )