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ご来客数;




梅の香りは、変ト長調・・・・・
『梅林橋の梅』の思い出はリアリズムの中
・・・・・2007年10月14日の
栗林公園庭園コンサートを終わって





作曲家  岡田克彦


(2007.10.15.執筆)






BGM;岡田克彦作曲;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」(全18曲)より、
14番『梅林橋の梅』 OP.111-14

2010年2月7日に、高松市「studio SUMUS」にて収録
(ピアノ;岡田克彦 語り;西谷智英美)

曲目解説と、試聴

2007年10月14日栗林公園庭園コンサート にて初演





昨日、無事に、「栗林公園庭園コンサート」での自作自演を終えることが出来ました。ご来園下さって、ぼくの新作ピアノ組曲『記憶の底の栗林公園 OP.111』の初演をお聴き下さったオーディエンスの皆様、様々な障害をクリアする応援をして下さった、関係各位の皆様に、厚く厚く御礼申し上げます。






ぼくが新作ピアノ組曲『記憶の底の栗林公園OP.111』を作曲して出演しようと思ったのは、今年の4月中旬、今回の庭園コンサートの出演依頼をいただいた、高松ワシントンホテルのティーラウンジで関係スタッフの方と一緒にアイスコーヒーをいただいていた時でした。


介護していた母が他界して7ヶ月経過していました。「栗林公園庭園コンサート」出演依頼の話を聞いて栗林公園を思い出した時、真っ先にぼくの脳裏によみがえった光景は、去年の3月、年老いた母と一緒に栗林公園へ行った時のことでした。


場所は、梅林橋のたもとにある茶店。行きたかったお茶室の掬月亭(きくげつてい)にたどり着く前に腰が痛くなって、そこの軒下のイスに腰かけて熱いお茶をすすっていた母と話していた時、梅林橋の裏の満開だった梅の香りが漂ってきた瞬間の思い出でした。


江戸千家不白流の茶道が趣味だった母が、久しぶりに大好きだった栗林公園のお茶室の掬月亭に行きたいということでつれてきていましたが、もう、腰が痛くなって歩けなかったのでその茶店で一服して帰りました。






「お母さん梅が満開だよ。」


「うわぁー、ものっそ綺麗なのう。もうすぐ春が来るんやのう。やっぱり栗林公園はええのう。お母さんのう、来年の春こそは丈夫になって掬月亭まで行くけん、克彦すまんけどのう、また栗林公園に連れて来てえたのう。」


「わかったわかった。ぼくにまかせまい。はよ元気になりまいよ。」


母が亡くなる半年前でした。梅の香りが漂ってきて、春の訪れを予感しました。






あの時、漂ってきた梅の香りが、音楽のモチーフに変換されて、変ト長調の響きで、ぼくの頭の中で鳴りました。旋律は陽旋法で終結は、平行調の変ホ短調で寂しく終わりました。このイメージが全てを決定しました。曲全体の開始のプロローグは、近隣調の変ロ短調を提示して、終結のエピローグは、その同主調の変ロ長調にして、フラット系の調性で品格のある物にしないといけないという基調構想が、アイスコーヒーを飲みながら頭の中で決まったので、関係スタッフの方にぼくは答えました。


「自作自演で行きます。栗林公園をモチーフにした新しいピアノ組曲を書きます。作品番号は、OP.111になります。」


こうして、4月23日の夜、数時間で一気に書き上げた、下記内容の新作ピアノ組曲『記憶の底の栗林公園 OP.111』と、『全世代メドレー 2007 OP.116』で、昨日の10月14日の栗林公園庭園コンサートに出演しました。






岡田克彦作曲;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111(全18曲)」


1.プロローグ

2.講武射の芝生

3.三島一連の池の仙磯(せんぎ)

4.花しょうぶ園

5.日暮亭

6.鳳尾塢(ほうびう)

7.小普陀(しょうふだ)

8.会僊巖(かいせんがん)

9.麩にかぶりつく鯉

10.吹上の朝

11.楓岸のギャロップ

12.雨の掬月亭

13.飛来峰から

14.梅林橋の梅

15.桜の馬場のトッカータ

16.晩鐘

17.家路

18.エピローグ






2007.10.14.栗林公園庭園コンサートポスター







コンサート前日の10月13日、ミクシィのリンク先の若者が遠方から応援に来てくれ、自宅に宿泊してくれました。朝は、彼が起こしてくれました(笑)。栗林公園のそばのガストで朝早い朝食をいただいて、通用門に行くと、香川県庁のSさんと弟が待機していて、素晴らしい水墨画のかかった控え室に案内してくれました。ピアノは、旧知のK専務のいらっしゃる高松楽器のローランドの最新機種の電気ピアノを使うとのことで、10月11日に試弾し、『全世代メドレー 2007 OP.116』の推移の部分のアクロバットスケールを一部手直ししました。コンサート当日朝8時半には、ピアノが入ったので、客席から鍵盤と指の動きが良く見えるように、お客様にお尻を向ける角度で斜めに置いていただき音響設定をして、最強音と最弱音の響きを確認し、朝9時に当日司会してくれる、香川県庁のN氏と打ち合わせをして、時間通りにするので、アンコールは受け付けないので、逸珈琲のサロンを紹介いただきました。また、いつもの庭園コンサートで、司会者が

「それでは、○○さん、よろしくお願いします。」

と言われてステージすそからアーティストが登場するのは、学芸会のような登場の仕方なのでやめていただき、開演2分前から、ぼくが、ショパンの「ノクターン OP.9-2」をBGMとして演奏し、それにのってぼくを紹介していただき、開演ピッタリに、ぼくが手元のマイクでご挨拶して、自作自演を開始しました。紫雲山、芝生と松の木が見え、小鳥のサエズリと風の音が聞こえる中で、公園を散策する人達には穏やかな響きがよいと思い、せっかくピアノがあって音が出せるのだから音楽を日常的に楽しんでいただけるスタイルにしました。


18曲の小品のどこを弾いているのかわからなくなるといけないので、簡単なプログラムを全員に配っていただき、初演に相応しく、マイクスタンドを置いて弾き語りで行きました。






「18曲というと大作だと思われているかもしれませんけど、この作品はイメージインプロビジョンの一曲が40秒の所要時間の小品集です。」

と言って開始しました。






2007.10.14.栗林公園庭園コンサート   2007.10.14.栗林公園庭園コンサート







当日の天気は曇っていて、雨が降るかもしれない状況でした。が、この組曲の中心になる14番の『梅林橋の梅』の語りを入れて演奏しだしたら、サーーーッと雲が途切れて青空が広がりました。

えーーーっ、お母さんが聞いてくれているのかな、と思って、静かな変ト長調の『梅林橋の梅』を弾き出したら、梅の香りの思い出に涙が出そうになったので、ぼくは、上を向いて青空を眺めながら弾きました。客席から嗚咽する声が聞こえてきましたが、完全な静寂で、小鳥のサエズリだけが聞こえ、平行調の変ホ短調で寂しく終わる頃には、もう、平常心に戻っていました。






「次の、『桜の馬場のトッカータ』『晩鐘』『家路』から終曲の『エピローグ』までは、導音でつないでいますので、続けて演奏します。終曲の『エピローグ』で、最初の『プロローグ』の音型が出てきます。この組曲は、この先、香川県に住んで栗林公園に日常的に接するかもしれない全ての若い人たちに捧げたいと思って作曲しました。栗林公園は400年以上の、J.S.バッハのマタイ受難曲よりも歴史のある名園ですから慌てることはないです。10年後でも100年後でもいいのです。また、このステージで栗林公園をモチーフにした作品が、若い人たちの新しい感性で作曲されて演奏される日が来ることを、作曲をやっているぼくとしては願って、変ロ長調の前向きな響きで終わります。」

という最後の語りを入れて、この組曲中最大の難曲で2分かかる、全音音階と複複調とアクロバットスケール、ポジション移動奏法を駆使した『桜の馬場のトッカータ』を弾き、Aの音で鎮静効果のある『晩鐘』、Eの音で内省的な『家路』、Fの音で終曲の『エピローグ』をつないで演奏し、終了して、盛大な拍手の中立ち上がってお辞儀したら、満席どころか、立っている人もたくさんいました。







2007.10.14.栗林公園庭園コンサート    2007.10.14.栗林公園庭園コンサート







「5年ぶりのぼくのステージカムバック、出身地の香川県での初めての自作自演、新作初演に大勢お越しいただいて本当に有難うございます。30分という時間を素敵に過ごしていただけるようにプログラムを考えまして、作曲をやっているぼくとしては、この機会に、いろんなジャンルの音楽も全て、この12個の音で出来ていることを、ぼくのキャパシティーの範囲で考えて、『全世代メドレー 2007 OP.116』を今日のためにアレンジしましたので、そちらを演奏させていただきます。このアレンジは、ぼくの一番尊敬する作曲家のJ.S.バッハの平均律の1番で始まりますが、いろんな曲のモチーフが出てきます。ぼくのメドレーはパラフレーズメドレーなので、皆様のご存知だろうと思う曲のモチーフを全て入れました。ジャズスタンダードのミスティ、J-POPから、一青窈(ひととよう)、尾崎豊、夏川りみ、新井満の作品、大正時代の唱歌の『浜辺の歌』、クラシックから、ショパンの「幻想即興曲」と「別れの曲」、演歌から、美空ひばりの作品も入れていますので、次、何が出てくるんだろう、って感じで気楽にお楽しみください。」


と言ってスタートしました。下記のとおりでした。






J.S.バッハ「平均律 vol.1-1」 〜 一青窈『ハナミズキ』 〜 ジャズスタンダード・ミスティー 〜 尾崎豊" I Love You " 〜 『浜辺の歌』 〜 ショパン「幻想即興曲 OP.66」 〜 夏川りみ『涙そうそう』 〜 美空ひばり『リンゴ追分』 〜 ショパン「別れの曲 OP.10-3」 〜 新井満『千の風になって』 〜 高松の民謡『一合まいた』






『ハナミズキ』は、「君と好きな人が百年続きますように」と「空を押し上げて」のフレーズだけをフーガにして、J.S.バッハ「平均律 vol.1-1 の上に入れました。『浜辺の歌』はヘ長調ではじめ遠隔調の変ニ長調にして、嬰ハ短調のショパンの「幻想即興曲」につなぎ、変ニ長調に戻ったところで、『涙そうそう』の「晴れ渡る日も雨の日も」以降だけを入れて、アクロバットスケールから、平行五度で、美空ひばりの『リンゴ追分』に移り、あっという間にショパンの「別れの曲」になって、『千の風になって』の「あの大きな空を吹き渡っています」をコーダのようにして、六度のグリッサンドと単音のグリッサンドを入れて、ホ長調で終結させた響きの中から、不気味な、平行調の嬰ハのバスの音が、がんがんと響いて、何事かと思わせたら、高松の民謡の『一合まいた』が始まるようになっていて、ここで、雰囲気をなごませてサプライズで終わるようにしました。もちろん、これで反応がなかったら、「朝早くから有難うございます」、というぼくの気持ちを込めて、『ラジオ体操第一』も付加できるようにしていました(笑)が、高松の民謡の『一合まいた』の十分な反応を確認できたので、気持ちよくエンディングとしました。






2007.10.14.栗林公園庭園コンサート   2007.10.14.栗林公園庭園コンサート







終わった後、四国電力、JR四国、NTTドコモ四国、JA、百十四銀行などの仕事で懇意にしている皆さんがいらしてくださっていたので、ステージすそでお話しました。特に、NTTドコモ四国の部長は、全行程をデジカメで収録してくださっていたそうで、出来上がったら持って来てくださるそうでしたので、お礼を言ったら、途中、ぼくと目が合ったことを思い出しました。そうなんです。彼はクラシック大好きな人なのでした。『リンゴ追分』が、あっという間にショパンの「別れの曲」になった時にニコッと笑いかけてくださったのでした(笑)。でも、やはり、出身地ですね。高松高校の後輩の、衆議院議員の小川淳也君や同窓会の仲間がいらしていたのですけど、みんな、『梅林橋の梅』に感動して鳥肌が立った、って言ってくれました。特に、早稲田大学も同窓だった女性は、涙が止まらないと言っていました。






だから、ぼくは言いましたよ。


「『梅林橋の梅』の思い出はリアリズムの中から生まれたんだよ。お涙頂載じゃなく、ぼくの音感では、梅の香りは、変ト長調だから、あれを中心に曲を考えたから、プロローグとエピローグはその近隣調のフラット系にして、その他の15曲は、シャープ系にしただけなんだ。」


「でも、どうしてあんな美しい曲が浮かんだの。」


「もう、50歳になったからさ、最近の思い出が一番先に浮かんだんだろうね(笑)。ぼくの人生のいろんな時点での栗林公園との出会いの思い出を曲にしただけで、現実を素直に眺める姿勢で貫かれている、リアリストとしての視点がないと書けないと思ってます。でも、それがあなたの心に響いたということはとても嬉しいですね。」


母の介護を手伝ってくださっていた、ホームヘルパーさんもいらしてくださっていました。しかも、形見分けで使っていただいていた、母が愛用していたブラウスを着ていらしていました。なんでも、どこかのさぬきうどん店に貼ってあったポスターを見ていらしてくださっていました。「浜辺の歌」と「リンゴ追分」が大好きな曲だったそうで、一緒に口ずさんでくださっていて、「音楽はいいわね。」という最高の感想をいただけました。


その後、千の風になった母と一緒に、『掬月亭』に行ったんだけど、遠方から来てくださったり高松市内の、若いSNSのミクシィやGREEのリンク先(現在800人くらいいらっしゃいます。)の皆さんと一緒だったのに、『掬月亭』は開かれていた武者小路千家のお茶会でいっぱいだったので、梅林橋のそばの『日暮亭』に一緒に行きました。途中、梅林橋を通ったので、


「ここが、母が、もう歩けなくなって休んだ茶店だよ。」


とご案内しました。池には鯉が泳いでいました。観光客が麩をやっていました。


「アハハハ・・・。本当に、カプッ、カプッ、って岡田さんの曲みたいにかぶりついているね。でも、今日は本当に有難うございました。ぼく、勇気を岡田さんの曲からいただきました。」


「えーーーっ、そんな前向きの曲じゃないよ。」


「アマチュアがここまでやれるんだ、ってこと、目の前で見て感動しました。」


「どうも有難う。」


彼は、29歳の若者で、来年、ベンチャーを立ち上げるところでした。彼がぼくより将来まで生きる予定の香川県内在住の若者だということは、本当に嬉しかったです。






もう、栗林公園が大好きだった母は、いなくなってしまったけど、梅林橋からの芝生と松の木は、とても美しい眺めでした。


栗林公園・梅林橋



しばらく美しい景色に浸ってから『日暮亭』に行き、音楽だけでつながった若い彼らと、お茶室で、冷たいお抹茶をいただいてから帰宅しました。






携帯電話をマナーモードにしていたので、いっぱい留守電が入っていました。


親しい友人達でした。みんな、演奏会終了後、ぼくに話しかけようとしたそうでしたけど、ぼくがいろんな人たちに囲まれていて、邪魔だといけないとのことで話しかけられなかったのだそうです。ああー、やっぱり出身地だな、って思いました。









そして、帰宅したぼくのパソコンに大変に嬉しいメールが2つ届いたので、誤解を恐れずに、そのまま、掲載いたします。






一つはGREEというSNSでリンクしている、15歳の京都の中学生からのメールでした。

>お疲れ様です。庭園コンサート とても良かったです。友達と庭園を周り過ぎてちょっと遅刻しましたが、後方の椅子に座り、日暮亭の辺りから聴いてました・・・楽曲が少し短いのが残念?でしたが、指のタッチがとても柔らかくいい音色で感動しました。お亡くなられたお母上様のご冥福をお祈りします。プログラムの吹上の朝、梅林橋の梅〜エピローグまでの音間は凄く、ググッときました。来て良かったてす。またコンサートの日程など決まりましたら、寄らせていただきます。季節の変わり目、風邪などに気を付けられて、頑張って下さい。有難うございました。






演奏会の出来不出来は時の運ですから、いい時もあればそうでない時もあります。だけど、なんて礼儀正しい、感受性豊かで素直な中学生なんだろう、と感動しました。


2007.10.14.栗林公園庭園コンサート   2007.10.14.栗林公園庭園コンサート







もう一つは、庭園コンサートの司会をされている香川県庁のN氏が、県民に定期的に出しているメールでした。


>●一味、ふた味もちがった今回の栗林公園庭園コンサート・・・


昨日の日曜日、栗林公園では、恒例の庭園コンサートがあり、3歳からピアノを習い始め、東京御茶ノ水カザルスホールアマチュア室内楽オーディションで優勝した、そして今でもアマチュアでの演奏に拘っている地元出身の岡田克彦さんのピアノコンサートでした。

岡田さんは、舞台俳優の江守徹さんとも共演した実績がある、卓越した技術の持ち主で、東京でも高い評価をいただています。

そういう方のコンサートのMC(Master Of Ceremony)をさせていただき、それも身近に演奏を聴けて、MC冥利に尽きました。

ピアニストの岡田克彦さんは、今までに約750曲も作曲の実績のある作曲家でもあり、今回は、わざわざこの日のために、というか、どうして公園をイメージした曲がないのだろうと不思議に思い、それなら自分がつくろうと思い立ち、自分が子どもの時に家族や友達といっしょに何度も訪れた公園の懐かしい昔の一こま一こまを思い出しながら、思い出でいっぱい詰まったお庭の国宝「栗林公園」をテーマに、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」を作曲して、ご自身で演奏していただきました。

組曲や演奏は、ほんとうに素晴らしいものでした。

ピアノ組曲は、18の小品を組み合わせたものでした。南庭に広がる三島一連の南湖の中に妙に存在感がある岩組み「仙磯(せんぎ)」は、岡田さんの子ども心にも大いに刺激になったようです。究極的には、不老不死の薬を飲んで仙人となって長生きするのが道教の教えですが、日本という国は、昔から他国の強い憧れだったのですね。秦の始皇帝、漢の武帝、鑑真など、日本への興味はつきないようです。

そのほか、子供心に、島津からもらったソテツの生い茂った鳳尾塢、飛来からの眺望を上回ると江戸時代には言われていました会僊巖などには、特に思い入れがあるようで、氏の熱き思いは、ピアノから伝わってきました。

多くの人が特に聞き入っていたのは、小品「梅林橋の梅」でした。5年間の介護の中、昨年2月に久しぶりに外出した母親が、自分の足で、南庭の掬月亭に行きたいというので、公園に連れていかれたようですが、足がやはり不自由で、結局は、体力的には、その手前の梅林橋までしか行けず、おかあさんが、来年こそ元気になって掬月亭まで行きたいという話をされて、結局はその半年後の昨年の9月にお亡くなりになられたことを告白されて、曲を演奏されたときは、もらい泣きしている方もおられました。

私自身も何度か体が震えるほど、ほんとうにすばらしかったです。

庭園コンサート、いままではどちらかというと素晴らしいお庭の国宝の中で演奏するということで、それはそれで、雰囲気もあっていいのですが、今回は、曲の内容が、公園そのものであって、岡田さんと特にお母さんを中心としたご家族の思い出としての公園ということで、聞いている皆さんも共通する何かがあって、いつもの庭園コンサートとは一味違ったいい意味でのコンサートになったと思います。

岡田さんには、ほんとうにありがとうござました。

アマチュア界では、つとに有名なピアニスト、岡田克彦さん、今後もがんばってその才能を活かしてほしいものです。

岡田さんの素晴らしい演奏は、東バイパスとインテリジェントパーク行きの道路が交差する交差点に位置する、林町の「カフェ すぐる」で、毎週土曜日、19時から22時まで、定期演奏を行っていますので、そこで心ゆくまで聞けます。もちろんショーチャージもいらず、ドリンク飲食代だけで聞けます。

技術的にはプロを凌ぐ卓越さですが、あくまでアマチュアに拘っている岡田さんです。ぜひとも、一度聞いていただき、素晴らしい演奏を堪能してください。

つくづく、自分は一人でないと思います。周りの多くの人に感謝しなければいけないと思います。

岡田さんの演奏のあと、そんなこと思いました。






Nさん、ぼくは、あなたに感謝こそすれ、感謝されるほどのことはしていません。2年程前に早稲田大学の同窓生の紹介ではじめて出会い、母の逝去のあと、ぼくを暖かく励ましてくださいました。あなたの激励がなかったら、ぼくは、二度とステージに立たなかったかもしれません。第一、「記憶の底の栗林公園 OP.111」の作曲に際して一番適切なアドバイスを下さったのはあなたでした。本当に有難うございました。






また、母の介護のための5年間の演奏活動中断を破っての久々のステージカムバックでしたが、ミクシィとGREEという二つのSNSでつながっている、優しい、全国のリンク先の皆様、約800名に、いろいろと励ましていただきました。


2000年に、岡山後楽園築庭300年祭に呼ばれて江守徹さん等の朗読と共演して以来懇意にさせて頂いている「山陽テレビ」報道局の事前取材もあり、テレビで事前PRも出来ました。


ぼくは、本当に、いい人達に囲まれて幸せだな、と改めて感謝いたしました。


2007.10.14.栗林公園庭園コンサート  2007.10.14.栗林公園庭園コンサート







掲載写真は、栗林公園の「梅林橋」からの池と芝生等の美しい眺めと、2007年10月14日当日、栗林公園庭園コンサートに聴きに来てくれた、高松高校の後輩の衆議院議員の小川淳也君達の友人が撮影してくださった写真、です。











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